長崎は尻だった 〜ナビゲーションの効用〜
ガイドやイントラの後について潜るスタイルが定番になっている昨今、
ナビゲーションに関して、こんなご相談や質問を受ける。
「使う機会がないので、すっかり忘れてしまった……。大丈夫かな?」
「プロについて潜ることしかしないんだから、できなくてもよくない?」
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長崎は雨でなくて晴れだったのはともかく修学旅行のお話。
きれいなツアコンのお姉様に夢中で、ニキビ面でモジモジしながら、
お姉様をぴったりマークするのに必死だった若きテラ少年。ポッ。
そして、修学旅行から10年経ち、取材で行った長崎もやっぱり晴れだったわけだが、
それはともかく、今度はマップ付きのパンフレットとニラメッコ。
グラバー園や平和公園、中華街など、有名観光スポットを、
路面電車を乗り継いで取材して回った、まあまあオッサンのテラ青年。
つまり、修学旅行ではツアコンにくっついているだけで、
取材では自分でナビって長崎探索をしたわけだ。
修学旅行で行った長崎でも、主要な観光スポットは行っているはずだが、
記憶に残っているのは、ツアコンお姉様の尻。そう。長崎は尻だった……。
観光スポットという〝点〟を通しての長崎は覚えているが、
それぞれの記憶も曖昧で、何より長崎の街全体がよくわからない。
一方、取材で行った長崎は、基点となる宿から、時間を考えて、
行きたいスポットをつなぎ、〝線〟としてコースを作っているので全体の把握も確か。
目的を持って回っているので、それぞれのスポットも印象深い。
それに、ちんちん電車でちんちん出したり、めがね橋からジャイアントエントリーするような
ルール違反さえ犯さなければ、自由な行動ほど楽しいものはない。
つまり、これがナビゲーションの意味と効用だ。
ただ漠然とガイドについていくだけより、その海と主体的に向き合える。
濃密に海と遊べると言ってもいい。
それに、尻しか見ていないニキビ面のテラ少年は、お姉様とはぐれたら途方に暮れるしかない。
しかし、マップを見て考えているテラ青年なら軌道修正も簡単。
陸上では迷子になっても交番にかけこめば解決だが、海の中におまわりさんはいない。
自分がどこにいるかわからずに一人ぼっちの海の中は最高レベルのストレス。
一方、自分の位置や帰るコースを頭で理解していれば、たとえはぐれても落ち着いていられる。
楽しみでも安全の意味でもナビは大事なのだ。
ただ、お姉様のお尻は果てしなく素敵だったし、
ツアコンに付いたほうが効率よくコースを回れたり、穴場に連れて行ってもらえることもある。
ひょっとしたら、その尻に顔を埋める機会がやってくる可能性だってゼロじゃない。
海に置きかえればそれがガイドの価値。
一度ナビというものを知り、使い分けられるようになるのが理想的。