オニヒトデは駆除すべきなのか
いつもお世話になっている宮古島のショップのA船長から衝撃の写真が送られてきた。
伊良部島北岸のサンゴポイントで大量発生しているオニヒトデが海底を埋め尽くしている写真だ。
宮古の海底を埋め尽くすオニヒトデ
この惨状を見たら、誰もがサンゴを守るためにも駆除しなくっちゃと思いたくもなろうが、
A船長は「これも自然」と駆除には慎重派だ。
他方、現在、パパもんが滞在している石垣のショップOはこの時期、
ゲストのいない日には鬼退治と称して駆除活動に熱心である。
石垣島の鬼退治成果
いったいどちらが正しい対処法なのだろうか。
この問題にはジョン・パスモアという環境倫理学者が唱えているところの
環境保全(preservation)と環境保存(conservation)の区別が大いに関係している。
保全とは人間中心の考え方であり、究極的には未来世代の人間も恩恵をこうむれるよう、
人間のために自然資源を保護しなくてはならないとする考え方である。
これに対して「保存」が想定しているのはあくまで「自然それ自体のため」だ。
特定の生物種や原生自然を人間の活動を規制してでも、
その損傷・破壊から保護しようとする考え方である。
1970年代頃をさかいに環境思想はキリスト教的な世界観・価値観に立脚した人間中心主義から、
自然それ自体のためにという環境主義に転換したと言われている。
いわゆるディープ・エコロジーというやつだ。
しかしパパもんは思う。「自然それ自体のため」なんて立場がありうるのかと。
自然が人間に対して「自分を守ってくれ」といつお願いしたとうのか。
人間が勝手にそう思っているだけじゃないのか。
環境破壊だとか盛んに言い立てられているが、地球温暖化にせよ、
景観破壊だとかで困っているのは自分たち、人間ではないのか。
だとしたら、結局はすべて人間の自己都合である。
しょせんは人間という生き物は、エゴイスティックなまでに
すべて自分に都合のいいような状況を生み出そうとしているに過ぎない
という点を見失ってはいけないとパパもんは思う。
極端な話、「生きていく」ということ事態が、常に自然だとか、
他者に負荷をかけていくことを意味しているのであって、そのことを否定したり、
欺瞞的に自分だけはそんなことをしていないなどというポーズを示してはいけない。
クジラという自然保護を名目に人間に対してテロ攻撃をかけてくる
シーシェパードなどの環境保護団体がうさんくさいのも、
彼らからこの自覚が微塵も感じられないからだろう。
だとすると私たちは何をどうすべきなのか。これに関しては賛否両論が渦巻き、
どう答えても反論を覚悟しなけりゃならないことを承知であえて言う。
まずはすべて自己中心主義的にしかものを考える事のできないのが
人間の性であることを謙虚に認め、
自然との適度な距離をとった調和を図るしかないとパパもんは思う。
サンゴを守りたい。その思いは誰もが持っているだろう。
しかし安易なオニヒトデの駆除やサンゴの移植、
しかも勝手に自己都合で設定した区域に移植するなんてことは
場合によってそちらの方こそが自然破壊につながってしまう。
われわれがやっていいいのは、とりあえず、まず、
われわれ人間の行いで失われてしまった部分、破壊された部分を修復することであって、
その先の事に関しては慎重でなければならないとパパもんは思うのだ。