ただ大学デビューしたかっただけなのに、とんでもないダイビングクラブに入部
ダイビングを続けた理由は
「なんか辞めるきっかけがなかった」
最悪のダイバーデビューを飾った自分が(前回日記参照)、ダイビングを続けた理由。
よ~く考えた結論は……
ダイビングクラブを辞めるきっかけが見つからなかった。
そう。ただ、それだけなのだったような気がする。
僕が所属していた「法政大学アクアダイビングクラブ」というのは、僕が32期だから、今は44期ぐらいかな。
つまり、44年も続くダイビングクラブで、初期の方々はまさに日本のダイビング界のパイオニアと言っていい。
OBにはダイビング界で活躍する人も多く、ダイビングサービスのオーナーはもちろん、指導団体のお偉いさん、水中カメラマン、ライター、水中レポーターなどなど、ダイビングを通じてさまざまな分野で活躍している。
かくいう自分も、取材で「法政アクア出身です」と言って何度助けられたかわからない。
ちなみに、ダイビング雑誌の要となる“スキル記事”(ビギナーの需要がものすごく高い)は、『マリンダイビング』は僕、『ダイバー』は山中氏だか、山中氏も同ダイビングクラブ出身。
この連載は、大学時代の貯金でやっているようなものだ。
入部が決まった瞬間
優しかった先輩が激変
そんなダイビングクラブに入部したきっかけは、わかりやすくいえば、大学デビューしたかったんです(笑)。
だって、ずっと剣道しかしてこなかったので、せめて大学は華やかなことをしよう、そして、海なし県出身としては、海がどんなに華やかな世界に見えたことか。
海といえば、なんかサーフィンはチャラそうだから、ダイビングかヨットだろうと思っていたところに、日に焼けたかわいい先輩の勧誘にフラフラと乗っかってしまい……(照)。
そう、僕はただ華やかなことがしたかっただけなのだ。
そして、彼女なんかできちゃったら最高だなと。
さらに、こんな素敵な女の先輩たちに、「お・い・で」なんて言われることがあるのか! あるのか、おい!
そう。ダイビング自体にはさほど興味はなく、それを取り巻く状況に期待をしていただけのこと。
当時は、ダイビングが多様化し、イメージも変遷している過渡期。
僕はクラブが設立して32年目に入部したわけだから、当然、ダイビングを取り巻く環境は当初とは一変しているわけだが、当時はそんなことわからないじゃないですか。
入部したときは、バブルははじけていたとはいえ、「彼女が水着にきがえたら」のイメージがあるので、テラ青年にはダイビングに対して“華やか”なイメージしかないじゃないですか。
しかし、そんなこっちのイメージと黎明期のダイビング界をひっぱってきたOBとその伝統と受け継いできたクラブのダイビング観との乖離はすさまじかったのだ。
まず、新入生歓迎コンパであれほど優しかった先輩たちが、入部したとたんに一変する。
新入生はコンパのノリでミーティングに参加してニヤニヤしていると、それまでは穏やかだった主将が急にテーブルを殴りつけてひと言。
「お前らぶったるんじゃね〜〜!」
び、びっくり。あ、あの。ダイビングするクラブですよね……。
そして、主将の大声と共に、12人から最後は3人に減ってしまった、ダイビングクラブどっぷりの4年間が始まるのだった……。
(続く)
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