【世界記録・ギネス認定】知床・ウトロの流氷下、尾関靖子選手が126mアイスフリーダイビング達成!
2024年2月22日(木)北海道斜里郡斜里町ウトロのウトロ漁港にて、フリーダイバーの尾関靖子選手が流氷下でアイスフリーダイビングの世界記録を達成した。今回の記録はダイナミックウィズフィン(DYN)with ウエットスーツという種目。これまでの125mを上塗りする126m。記録認定はイタリアに本拠地を置くフリーダイビングの国際競技団体のCMAS(※)により公式認定され、合わせてギネス世界記録としても認定された。
※CMAS(シーマス/クマス):世界水中連盟
今回行われたダイナミックウィズフィン(DYN)with ウエットスーツは、モノフィンという大きな人魚のようなフィンを履き、一息で泳げる距離を競う。通常はプールで行われる種目で尾関選手のプールでの記録は221m。
尾関選手は2年連続でAIDA(※)年間全種目の世界ランキング総合1位というトップダイバー。しかし、流氷下で行うこの種目は別物と言って良い。気温はマイナス二桁、水温も海水のため氷点下以下、ウエットスーツを着用し抵抗力が増し浮力調整も難しく、加えて頭上に分厚い氷が張り、いつでも浮上できるわけではない。プールとは比べ物にならない過酷な条件下でのこのチャレンジとは、一体どのようなものだったのか?
※AIDA(アイダ):フリーダイビング競技の規則や記録の管理、資格認定などを行う団体。
実は奇しくも、翌日にクロアチアの選手に記録を塗り替えられてしまったため、たった1日の世界記録となった。数字だけではないこのチャレンジの背景と、アスリートやチームメンバーの思いについて、今回セーフティダイバーとして参加し、当初から流氷フリーダイビングに携わってきた筆者の視点を交えてレポートする。
アイスフリーダイビングとは?
そもそもアイスフリーダイビングとは何か? そんな競技が存在していたのか! と思われる方も多いと思う。数年前からヨーロッパの寒冷地を中心に、一部のフリーダイバーによる「エキストリームな体験」として、いわば遊びとして行われていた氷の下を潜るというアクティビティ。実は数年前から、スポーツとしてルール化と整備が進み、公式種目化されてからは、続々と新記録が出ていた。記録アテンプト(※)はロシア、フィンランドなどの凍った湖で開催されてきたが、アジア圏では今回が初となる。
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※アテンプト:世界記録挑戦の試技
知床・ウトロでの流氷フリーダイビング
実はこの地では、11年前から有志による「流氷フリーダイビングカップ」が開催されていた。主催者はフリーダイバーで写真家の野口智弘氏と地元の高木唯氏だ。当初はほんの数名の、「モノ好き」が集まりひっそりと行われていた。
▼初期の頃の様子
フリーダイバーが魅せられる水中世界 ~究極の素潜り「知床ウトロ・流氷フリーダイビング」レポート~
次第に安全に開催するためのノウハウも蓄積され、メンバーのスキルアップ、そして地元での信頼、協力体制も整ってきた。加えて数年前からは台湾や韓国など海外のフリーダイバーも参加する一大イベントとなっていた。世界大会アテンプトには国際基準での会場設定や日本人以外の認定ジャッジが必要だが、それができるための環境が11年かけて育ち、数年前から企画チームに寺嶋拓哉氏が加わり、いわば、満を持してのアテンプトが実現したと言える。主催者3名へのインタビューは後述する。
コロナ禍で中止も続いていたが、今回は尾関氏のアテンプト以外にも「ファンダイブ」としての「流氷カップ」イベントも同時開催され、多くのフリーダイバーが集まった。
今回、ファンダイブイベントには台湾から人気の水中パフォーマーも参加した。
2024年2月22日
知床・ウトロでの世界記録アテンプト
では実際のアテンプトの様子を紹介する。20年に一度という流氷の当たり年となった2024年2月、世界記録アテンプトを祝福するかのように、ウトロ沿岸には一面にびっしりと、流氷が打ち寄せていた。
アテンプト会場となった場所は知床・ウトロ漁港の「旧港」。世界記録認定のための会場には厳密な安全ルールが敷かれており、万一の際の車での移動手段、救急車のルートなども想定した会場設営がなされた。まさに地元の協力無くしては不可能なイベントだ。主催者は実は数年前から申請などの準備を進め、スタッフを集め、事前の綿密なプランニング、オンラインでのミーティング、さらに現地で前日までのリハーサルと準備を万全に進め当日を迎えた。
これが上から見た会場全体図。真っ白な雪に覆われているが、これはすべて凍りついた港の上だ。
写真中央のラインが、競技会場。雪が積もっていると水中がますます暗く視界が悪くなるため、競技ラインの真上に沿って氷を露出させている。
ここに一定間隔で、複数の穴を開けている。スタート、ゴール以外に126mの間に20mおきに(ゴール近くには間を詰めて)7つの穴が用意された。水面下には競技ライン、選手用の目視ライン、セーフティダイバー用のライン、スキューバダイバー用のライン、と複数のロープが設置されている。流氷はゴツゴツとしているため、一度ロープを見失うと出口を見失うことになるため文字通りの命綱だ。またロープのたわみや絡みが重大な命取りになる。氷は分厚く、吹雪の中でのこの会場設営は過酷かつ細心の注意が必要で、チームは数日前から入念に設営を行った。
そして当日は吹雪の中、朝早くからジャッジやスタッフが最終の会場チェック、それぞれの持ち場のチェックをしてスタンバイした。
持ち場につきスタンバイするセーフティダイバー。氷の上からはアスリートが見えないため、ダイブタイムを頼りに潜り込み、伴泳して安全管理を行う。特殊で過酷な環境での任務を務めるセーフティダイバーは自身の安全管理も求められ、流氷ダイブ経験と臨機応変な対応力、お互いの連携プレーが問われた。ただ座っているだけでも手足が見る間に凍りついてくるのがわかり、時間との勝負でもあった。
すべての準備が整い、尾関選手がスタート地点で待機する。この日の外気温はマイナス10度以下。こうして呼吸を整えているものの数分でフィンにパウダースノーが積もり真っ白になる。
ジャッジによるカウントダウン。そしてトップタイムを迎え、入水。
大勢の陸上スタッフ、そしてジャッジ。水面下の様子は見えず、ダイブタイムを頼りに穴から穴へと走り移動し、見守る。
これは筆者が待機する80m地点。水面付近のケモクライン(真水と海水の境目)で水面下の様子がよく見えない。覗き込む顔は冷たいというより痛いはずだが、緊張感でそれすらも感じなかった。
ゴール! 無事126mを泳ぎ切り、浮上する尾関選手。世界記録達成の瞬間だ、極寒の会場はこの上もない熱気に包まれ、誰もが笑顔でハグをかわした!
こうして、アイスフリーダイビング世界記録が無事に達成された!
なお、この翌日2/23(金)に、クロアチアのValentina Cafolla選手がイタリアのAnterselva湖にて同種目で140mを達成、1日でこの記録は塗り替えられた。アテンプト申請は数ヶ月前にそれぞれが行うため、事前にこれは分かっていたことだが、たった1日でも価値があることとして尾関選手は敢えてチャレンジを選んだ。
今回の尾関選手のチャレンジは湖の平らな氷ではなく、塩分のある海で、そして分厚くゴツゴツとした流氷の下で行われる点で非常に難易度が高い。加えて温暖化に伴い、流氷の到来は必ずしも確約されていなかった。今回の知床のアテンプトは、選手のずば抜けた潜水能力、気象条件、タイミング、地元の協力、チームワーク、全てが組み合わさって達成できた偉業だ。この先数字が塗り替えられることがあっても、この価値と、チーム全員が感じた達成感と誇りは、決して色褪せることはないだろう。
尾関選手へのインタビュー
ーなぜアイスダイビングWRにチャレンジしようと思ったのですか?
4年前に初めて知床でアイスダイビングをした時に、主催者の野口さんからアイスダイビングのギネス記録があるという話を聞きました。当時のギネス記録はフィンを履いて息を止め、水平に泳ぐ 「ダイナミック」という競技の記録が112.3mで、通常のプールで行う競技の自己ベストから考えると、できない距離ではないなと思いました。それでも、最初は冗談だと思っていましたし、現地入りしても、私本当にやるのかな?と不思議な感覚がありました。
ー今回のチャレンジに向けてどのように準備を行いましたか?
コロナ禍でしばらくチャレンジはできなかったのですが、2年前に少人数で知床に来てウエットスーツの厚さやウエイト量を何パターンか試し、チャレンジに最適な装備を確認しました。また、今年の1月に本栖湖へ行き、冷たい水の中で実際に100mのダイナミックをしてみました。その時の感覚が良かったので、126mいけるかも、という気持ちになりました。現地入りも早めに行い、アテンプトのための穴開けやロープセッティングが順調に進んだので2日間トレーニングすることができました。最初は短い距離から試し、競技前日に100m潜り、感覚の最終確認と精神面での準備を行いました。
ー今回泳いだ距離は尾関選手のプール記録からすると短い距離ですが、アイスダイビングにおいてはどんな点が難しく、どんな点が楽だと思いましたか?
確かに、距離だけで考えると余裕はあるのですが、氷の下という閉塞された世界、冷たい水温、普段とは違う装備はプレッシャーを感じずにはいられませんでした。逆に、プール競技はどこで浮上するか決まっていないのに対し、アイスダイビングは穴開けの都合上、泳ぐ距離は126mと決まっているので、126m泳ぎ切ってしまえば浮上できると考えると気持ちは楽になりました。
ー今回の世界記録達成についてどのように感じていますか?
フリーダイビングは一人で潜ることはできず、安全管理のためのセーフティチーム、スキューバチーム、医師、ジャッジ、記録申請時に証拠として送る映像を撮影するカメラ係等、多くの方の協力が不可欠でした。そのため、協力してくださった皆様へは感謝の気持ちでいっぱいで、チームとして成功できて良かったというのが大きいです。特に、企画からロープセッティングの構想、実際の設置準備を進めてくださった野口さん、知床・ウトロ出身のフリーダイバーで、現地の関連団体や医療機関、消防との調整を行ってくれたゆいちゃん、ギネスやCMASへの申請等の情報収集や海外ジャッジ招聘、資料作成を行ってくれた寺嶋くんは4年間に渡り一緒に世界記録を目指してくれて、とても心強かったです。このメンバーだからこそチャレンジを実現することができまし た。
ー今後またアイスダイビングに挑戦する予定はありますか?
今はまだ具体的な目標はありませんが、また機会があればチャレンジしたいなと思います。今回はモノフィンでのチャレンジだったので、バイフィンやノーフィン等、別の種目も魅力的だなと感じています。海外のアイスダイビングは湖で行われていて、フラットな氷の下で潜るのが一般的ですが、知床は流氷の美しい起伏の中で潜ることができる特別な場所です。また、知床は流氷以外にも壮大な自然が広がっており、人々と自然との共存がいつまでも続くよう祈りながら、自分もそれを伝えるためのお手伝いをできればと思っています。
最後に、今回の世界記録達成の仕掛け人、影の主役とも言える主催者3名のコメントでこの記事を締めくくりたい。
●寺嶋拓哉氏(写真左端)からのコメント
(フリーダイバー、水中写真家。ワールドレコードアテンプトの発起人で申請や手配を務めた)
流氷フリーダイビングに魅了された1人のフリーダイバーとして、裏方のサポートをさせていただきました。流氷下の個人アテンプトという特異な環境下での挑戦でしたが、CMAS InternationalとCMAS Japanのメンバーの支援、さらに信頼のおけるスタッフチームの協力により、スムーズに準備することができました。尾関選手の世界記録の達成は数字だけでなく、人間としての可能性を示すものであり、現在までの日本のフリーダイビングコミュニティ全体が築き上げてきた1つの形だと感じます。改めてフリーダイビングの素晴らしさを感じることができました。今後もこの美しいコミュニティを、情熱のあるフリーダイバーたちと共にさまざまな形で盛り上げていけたら良いなと思います。
●野口智弘氏(写真中央)からのコメント
(写真家、フリーダイバー。ウトロでの流氷フリーダイビング創始者)
11年前、私たちは流氷下フリーダイビングというイベントを始めました。最初は手探りの状態でしたが、地元の方の助言と協力により、徐々に方法が確立されてきました。同時に、フリーダイバーのスキルも着実に向上してきました。今回の流氷下の世界記録へのチャレンジは、アスリートの強い意志、スタッフの熱意、そして私たちが積み重ねてきた知識と経験が11年を経て流氷フリーダイビングという文化となり、成し遂げたものです。スタッフやフリーダイバーたちの喜びはもちろんですが、地元の方からの祝福の声には感慨深いものを感じました。
*なお、野口氏が流氷下でフリーダイバーを撮影した写真展『海の雲』2024年 2月3日から3月31日まで知床自然センターで開催中。氷の下の光とフリーダイバーの機微をモノクロフィルム、パノラマカメラで撮影した写真が展示されている。
●高木唯氏からのコメント
(ウトロで生まれ育ち、現在も地元の活性化の仕事に携わるフリーダイバー)
2013年に面白そうだからやってみよう、というだけで始まったこのイベントが、毎年恒例となり、ついに世界記録・ギネス記録を更新。当初、驚きと奇異の目で見られていたように思いますが、地元の人にも「今年はいつやるの?」「流氷いい感じでできそうな天気だね」と声をかけてもらえるようになりました。ただ記録にチャレンジしたというだけでなく、毎年みなさんが来てくれているからこそ実現できたチャレンジだと思います。
この小さなまちで世界的な記録が作られたということ、そこに関われたということがとても嬉しいです。
以前野口さんが言っていた「知床に流氷が来なくなってしまった時に、こんな記録を作れるほどの流氷がウトロには押し寄せていたということを残したい」という言葉の重みを感じています。また来年も、その先もたくさんの流氷とフリーダイバーが知床にやって来ることを楽しみにしています。
※氷点下でのフリーダイビングは地元で特別に許可を得て行っています。過酷で危険と隣り合わせです。絶対に安易に真似をしないようお願いいたします。参加者は日頃から潜水のトレーニングを積み、安全管理のもとに実施しています。通常、流氷上へはドライスーツを着用の上、ガイドの同行が求められています。本イベントでは参加者にドライスーツまたは衣服の中にウェットスーツの着用を義務付け、関係機関に届出済みののぼりを携帯しています。
台湾から参加した「女子的海 MS.OCEAN」が撮影、編集した動画
写真提供:icefreediving知床実行委員会
主催者
野口智弘、高木唯、寺嶋拓哉
水中セーフティ
長坂麻美子、尾越あい、Efy Chen、Benjamín Yavar、武藤由紀、細田 周志、野口智弘
氷上セーフティ
蒲倉早苗、高木唯
スキューバチーム
大川拓哉、飯田 紗世、山口耕
医師
渕野 悟史
CMASジャッジ
丁奕先、河野 美絵
撮影
大川拓哉、Vanessa Chen
CJAC(CMAS 日本フリーダイビング委員会)
大谷装子
協力
MEPS