【マリアナを水中博物館に】サイパンの日本人ガイドたちが挑む戦跡の保全活動と水中フォトグラメトリ

成田から直行便で約3時間半で行ける海外リゾート・サイパン。透明度が高く、通年あたたかい海にはダイナミックな地形や癒しの白砂、カラフルなサンゴ礁と熱帯魚など、さまざまなダイビングポイントがある。さらに松安丸(しょうあんまる)をはじめとした水中戦跡もサイパン周辺には数多く存在し、レック(沈船・沈飛行機)ポイントとしてダイバーたちに楽しまれている。

しかし、終戦から78年経とうとする今日、これらのレックは少しずつ劣化をし、崩壊しつつある。このままなくなっていくのを放っておいて良いのだろうか?

この歴史的な遺跡であり観光資源であるレックを保全し、後世に引き継ぐため、サイパンの日本人ガイドたちが水中考古学者・山舩晃太郎先生と協力し「水中フォトグラメトリ」という技術を使って記録を取ることをはじめた。活動のきっかけや詳細、その想いについて、サイパンのダイビングショップ「SAKURA MARINE」のアカリさんから寄稿していただいた。

写真提供:戸村裕行

写真提供:戸村裕行

戦後100年となる2045年に
このサイパンの沈船は残っているだろうか?

2015年と2018年に超大型台風の被害にあったサイパン。この台風で、サイパン島の人気ダイビングポイントである沈船・松安丸の甲板にわずかに残っていたドア枠は見事にボッキリと折れて倒れた。

2018年のスーパー台風Yutuにより、もはやドア枠とはいえない状態まで壊滅した

「これも自然、しかたのないことだ」とそれまでの私は思っていた。しかし、山舩先生の著書「沈没船博士、海の底で歴史の謎を追う」に記された一文を見て衝撃を受けた。

チューク環礁内の水中遺跡では、水深の浅い場所にある鉄製の水中遺跡は、2012〜2017年頃に金属の酸化が完了し鉄の部分が完全に無くなり、船体強度が格段に弱くなり自重による崩壊が始まる

沈没船博士、海の底で歴史の謎を追う(山舩晃太郎/著)

20年前の2002年には、オーストラリアの水中考古学者がチュークで水中戦争遺跡の保存状況を科学的な視点で調査した結果、すでにこの未来は予見されていたのだ。

チュークでの調査なので、まるっきりサイパンに当てはまるとは言い切れないし、確かに台風の被害があったことは間違いないだろう。しかし、その超大型台風がなかったとしても、あのドア枠は崩れていた可能性があったことに驚いた。あきらかに目に見えなくても侵食により酸化した沈船は、今も日々崩壊へと時計の針を進めているのだ。

では、この崩れゆく運命の戦跡を残す手段はあるのか?

水中考古学者・山舩晃太郎先生との出会い

2022年3月、第二次世界大戦におけるアメリカの戦没者の海底に残る遺骨を捜索するプロジェクトの一員として、山舩先生はサイパンを訪れていた。縁あってそのプロジェクトを見学するチャンスをもらい、私は興奮を抑えきれなかった。水中の対象物のまわりを蝶のようにクルクルと飛び回りながら、写真を撮り続けるダイビングスタイルを初めて目の当たりにしたからだ。これが水中考古学者・山舩先生との出会いで、そのあとこの蝶のような撮影が「水中フォトグラメトリ」の一プロセスだと知ることになる。

山舩先生は、世界のあらゆるところで沈没船を探索、調査を行うとともに、自らが考案したフォトグラメトリの応用によるデジタル3Dモデルを用いて沈没船や水中遺跡を可視化するなど、水中考古学の分野で多彩な活動を展開している水中考古学者だ。

山舩先生について詳しく知りたい方はこちら

私は、この興奮をどうしても地元のダイビングインストラクター仲間に知ってもらいたくて、帰国直前になんとか山舩先生に時間を作っていただき懇親会を開いた。

2022年3月、山舩先生とサイパンの日本人ダイビングインストラクターとの懇親会。(写真左から)AKARI / SAKURA MARINE、MIYUKI / DIVE HOUSE ANCLAH、中丸健太郎 / S2CLUB サイパン店、野々垣雄一 / セルフィッシュサイパン、若杉忠昭 / AQUA GATE SAIPAN、名塚誉 / スーパーフィッシュダイビングサイパン、高橋卓 / メイクシュアダイビング、山舩晃太郎先生、西川裕 / DIVE HOUSE ANCLAH、樋口さんと息子さん(ダイバーではないが、2022年12月の水中フォトグラメトリ講習にも聴講生として参加したサイパン在住日本人)

2022年3月、山舩先生とサイパンの日本人ダイビングインストラクターとの懇親会。(写真左から)AKARI / SAKURA MARINE、MIYUKI / DIVE HOUSE ANCLAH、中丸健太郎 / S2CLUB サイパン店、野々垣雄一 / セルフィッシュサイパン、若杉忠昭 / AQUA GATE SAIPAN、名塚誉 / スーパーフィッシュダイビングサイパン、高橋卓 / メイクシュアダイビング、山舩晃太郎先生、西川裕 / DIVE HOUSE ANCLAH、樋口さんと息子さん(ダイバーではないが、2022年12月の水中フォトグラメトリ講習にも聴講生として参加したサイパン在住日本人)

水中戦争遺跡が数多く残るマリアナの海

ご存じの方も多いと思うが、サイパンは第二次世界大戦末期の激戦地であり、たくさんの水中戦跡が残る場所の一つだ。サイパンだけでなく、太平洋・ミクロネシア地域、ヤップ、チューク、フィリピン、ハワイなど、日本人ダイバーに人気のある、いわゆる南国リゾートには、太平洋戦争の歴史を目の当たりにできる場所がほかにもある。サイパンの特筆すべき点は、これらの水中戦跡が他の地域に比べて、一般ダイバーでもアクセスしやすい陸から近場の海域や、潜りやすい浅めの深度に数多くあるということだ。

私もサイパンに住んで20年、何百回も沈船・松安丸や沈飛行機・カワニシ二式飛行艇(通称エミリー)、その他数ある水中戦跡をガイドしてきた。どのような気持ちでガイドしていたかと言うと、

「水中にある珍しいものの一つ」

恥ずかしながら、これくらいの認識でしかなかった。地形の延長線というか、数あるダイビングスポットのひとつ。透明度が上がるから冬場のメインスポット。沈船は、サメや魚のすみかになっているから楽しいよね…くらい。ガイドなので、歴史的認識や沈んでいる物に対する知識は一通り勉強して案内してはいた。しかし、初めて私がここに潜った20年前に比べて、見るからに朽ちていることに気づきながらも、これは自然なことで抗えないことなんだとあきらめて受け入れていた。でも…

「広島に原爆ドームがあることに意義があると思いませんか?」

山舩先生がその懇親会でポロッとおっしゃった言葉が胸に響いた。そう、今なお痛々しい姿で残るあの原爆ドームも劣化による崩壊を防ぐために、今までに5回も補強工事がされているという。

そうか、サイパンの海で沈船・松安丸が見られること、カワニシ二式飛行艇が見られることにも大きな意義があるんだ。サイパンの水中戦跡は単なる珍しい地形のひとつではなく、未来に残すべき価値ある水中遺跡/水中博物館であり、それを維持しガイドすることも可能なんだと気づかされた瞬間だった。私たちサイパンのガイドがその心構えをゲストダイバーに伝え続ければ、失われゆく水中遺跡が実は「保全すべき重要な観光資源」として認められていくことになるかもしれない。そうすれば政府や関係機関の予算がつき、初めて補強工事などの保全活動にもつながる。その工事には、この「水中フォトグラメトリ」という手法で詳細な経年変化のデータを蓄える必要がある。正確な3Dモデルがあれば、潜らずともどこをどのように補強・補修すればよいかが一目瞭然でわかるからだ。

そもそも「水中フォトグラメトリ」ってなに?

簡単に言うと「水中写真で対象物をデジタルスキャンする方法」だ。写真データを基にしているので、よりリアルなテクスチャで3Dモデルを作成することができる。1つの対象物に対し、大きさにもよるが数百枚から数千枚以上の写真を必要とする。
この懇親会の後、「水中フォトグラメトリ」を私たちに教えるために、2022年12月、山舩先生は再びサイパンを訪れてくれた。

2022年12月、山舩先生による水中フォトグラメトリの講習会。サイパンおなじみのゆるキャラ「サイパンだ!」をモデルに、山舩先生がカメラのあて方などをレクチャーしてくれた。対象物に対して80%オーバーラップさせた写真を連続して撮ることにより3Dモデルを構築する

「水中フォトグラメトリ」には、いわゆるゲーミングPCが必要となる。グラフィックボードという映像処理に特化したパーツを搭載したPCだ。サイパンのダイビングガイドは当然、誰もゲーミングPCなど持っていなかったので、山舩先生から借りて、午前の部と夜の部に分かれ4~5時間ずつ4日間の講習と海洋実習1日で、水中フォトグラメトリの手法を学んだ。

マスクを眼鏡にかえて、PCとにらめっこ。山舩先生に教わったことを1つずつ確認しながら実習中

マスクを眼鏡にかえて、PCとにらめっこ。山舩先生に教わったことを1つずつ確認しながら実習中

いざ、海へ。目指すはマニャガハ島近くのポイント。当日集まることができたサイパンのダイビングガイド12名と山舩先生
何度も潜り続けているサイパンの海も、この日はとても新鮮な気持ちでエントリー

何度も潜り続けているサイパンの海も、この日はとても新鮮な気持ちでエントリー

今回の活動の一端をわかりやすくまとめてくれた動画/セルフィッシュサイパン・野々垣雄一

撮影した画像を専用ソフトに取り込み、作成した3Dモデル。こうして360度の角度で対象物をみることができる

沈船・松安丸の3Dモデルを作る

そして2023年4月、山舩先生はアメリカのプロジェクトで再び、サイパンを訪問することになった。それにあわせ、再び私たちサイパン在住の日本人ダイビングインストラクターの新たなる挑戦が始まった。

山舩先生と著書「沈没船博士、海の底で歴史の謎を追う(新潮社刊)」。お願いして、記念写真を撮らせてもらう

山舩先生と著書「沈没船博士、海の底で歴史の謎を追う(新潮社刊)」。お願いして、記念写真を撮らせてもらう

サインまでお願いしちゃってる(笑)

サインまでお願いしちゃってる(笑)

地元の歴史保護局(HPO)がボートの協力をしてくれた

地元の歴史保護局(HPO)がボートの協力をしてくれた

それは全長123mの沈船・松安丸と、海面から半分出ているシャーマンタンク(戦車)の3Dモデルを作るということ。大きな対象物は細かく分けて撮影し、3Dモデルへ統合する。また水面から出ている対象物の場合は、水面上と下とに分けて撮影し、同様に3Dモデルへと統合する必要がある。

まるでスキーポールのような2本の棒を持ち、沈船のまわりを潜る私たち
この棒は、ちょうど1mの印をつけるためのスケールバー。対象物に置いて写真を撮ることにより、フォトグラメトリの際の基準となるもの。正確な寸法を与えることで、3Dモデルがより精密になり、研究にも使えるデータとなる

この棒は、ちょうど1mの印をつけるためのスケールバー。対象物に置いて写真を撮ることにより、フォトグラメトリの際の基準となるもの。正確な寸法を与えることで、3Dモデルがより精密になり、研究にも使えるデータとなる

昨年12月に学んだ技術に加えて、3Dモデルを統合するテクニックを学び、私たちは再び水中フォトグラメトリへの挑戦を始めた。折しも時期がコロナパンデミックの明けたGWと重なり、通常のガイド仕事の合間に地元ガイドが協力し、ときには寝る間も惜しんでの作業となった。123mの船体を19のエリアに分けて撮影し、山舩先生からお借りしたゲーミングPCを共有しながら作業に没頭したが、その高性能PCでさえ処理時間に数時間を要することもしばしばだった。

結果から言うと、19のエリアの各3Dモデルの作成ができ、それらを統合して6つの3Dモデルに統合するところまではできたが、最終的に1つのモデルにする前に時間切れ。山舩先生にPCをお返しする期限になり、志半ばで沈船・松安丸の3Dモデルを完成させることができなかった。

沈船・松安丸の船首:高橋卓 / メイクシュアダイビング

シャーマンタンク:BIG EYE・TOMO

水中遺跡保全に向けた新たなツアーをサイパンからスタートさせたい

私たちが3Dモデルの完成に励むその一方で、今回の滞在中に、山舩先生が新たな試みとして「水中フォトグラメトリ体験コース」を考案してくださった。それは、1時間弱の事前講習と海洋実習で、水中遺跡の3Dモデルを作ることができるというものだ。

SAIPAN MEI DIVE 1968の松尾リエさんのお客様に、実際にコースを体験してもらった際の様子

SAIPAN MEI DIVE 1968の松尾リエさんのお客様に、実際にコースを体験してもらった際の様子

偶然サイパンに遊びに来ていたゲスト(サイパンリピーター・経験本数400本程度)に試験的に体験してもらい、作成した3Dモデルがこちら。PCに写真を取り込んでポチッとするだけで、ランチを食べている間に完成していた。

ジェイク:井上浩二氏/SAIPAN MEI DIVE 1968

思った以上に簡単に、しかも楽しみながらダイビングをして水中フォトグラメトリを体験できることに、手ごたえを感じた。リピーター率の特に高いサイパンダイバーに対して新しいアクティビティとしてきっと喜んでもらえるにちがいない。手軽な体験コースをきっかけに水中遺跡保全や3Dモデルの作成というアカデミックな分野へのリーチも可能になるかもしれない。

写真手前から、松尾リエ/SAIPAN MEI DIVE 1968、SAIPAN MEI DIVE 1968のゲスト井上さん(経験本数400本のリピーターさん)、マユキ ポリケア / Heart of Gold Divers Saipan

写真手前から、松尾リエ/SAIPAN MEI DIVE 1968、SAIPAN MEI DIVE 1968のゲスト井上さん(経験本数400本のリピーターさん)、マユキ ポリケア / Heart of Gold Divers Saipan

サイパンは日本から直行便でわずか3時間半という好立地ながら、他に類を見ない海の透明度と地形美、そして多様なダイビングポイント、温暖な気候とを兼ね備えた、ダイビングパラダイスだと思う。気軽に訪れることができるが、その水中には戦後78年間の記憶を繋ぐ貴重な遺跡が残されている稀有な場所でもある。だからこそ、どこよりも先駆けてこの体験コースを定着させ、さらには上級の「水中フォトグラメトリスペシャルティコース」なども開発していきたいと考えている。
今見えているこの水中の景色が、必ずしも明日もあるという保証はどこにもない。ダイバー、ノンダイバーに関わらず、一人でも多くの方たちにサイパンの水中遺跡に興味を持っていただきたい。地元の歴史保護局や政府機関とも協力し、サイパンのレックポイントが観光資源として、また価値ある歴史的遺跡として少しでも長く次の世代へ残していけるように。

ライタープロフィール
Noriko AKARI Baidya
サイパンガイド歴20年、SAKURA MARINEのダイビングインストラクター。悪ふざけも一生懸命をモットーにリピートしたくなるサイパンのダイビングを提案している。また、「ゴミの落ちていない北マリアナ諸島」を目指し、ゴミ拾いNPO団体・Island Keepers CNMIを主催する。

 

Special Thanks

プロジェクトに参加している
ダイビングショップ

スーパーフィッシュダイビングサイパンセルフィッシュサイパンメイクシュアダイビングAQUA GATE SAIPANBIG EYEHeart of Gold Divers SaipanMASA DIVE SAIPANMEI DIVE 1968S2CLUB サイパン店SAKURA MARINE (50音順、アルファベット順)

プロフィール 山舩 晃太郎

山舩晃太郎さんの画像
船舶考古学博士
法政大学文学部史学科を卒業後、船舶考古学における世界最高峰の研究機関であるテキサスA&M大学(Texas A&M University)大学院に留学。同大学院で2012年に修士号を、2016年に博士号を取得。西洋船(古代・中世・近代)を主たる研究対象とする考古学と歴史学のほか、水中文化遺産の3次元測量(3D Recording)と沈没船の復元構築(Ship Reconstruction)を専門とする。現在、この分野における第一人者のひとりとして研究を続ける傍ら、世界各国の様々さまざまな研究機関から依頼を受け、水中遺跡の発掘調査や学術研究の支援を行っている。

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