中村卓哉 “写真絵本”発売記念インタビュー

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第3回:水中写真の世界へ入った大学時代

いぬたく

学校ではどんなことをされていた少年だったんですか?

中村

中学では3年間サッカー部でした。当時から背が高かったんで、ストッパーでした。ゴール前に張って、ヘディングで競り勝って、みたいな。
で、高校の時にプロレスにハマったんですよ。その時テレビ中継をやっててすごくブームだったんで、プロレスラーになりたいなって思ってた時期が一時ありました。鍛えて、トレーニングして、プロテイン飲んで。

いぬたく

おお。

中村

高校卒業するくらいにはF1ドライバーになりたいと思ってて(笑)
もう、ほんとミーハーなんですよ、なんか流行ってるものになりたいと。父親が水中カメラマンという仕事で、サラリーマン家庭じゃなかったんで。「何か人と変わったことがやりたい」という思いはずっとありましたね。大学は日芸の写真学科に入ったので、そこで写真を色々教わりつつ、やっぱり海を撮ってみたいと思うようになりましたね。

水中写真家・中村卓哉インタビュー

いぬたく

そこで写真学科に入ろうと志望されたというのは、やっぱり小さい頃から写真に囲まれて育って、写真自体にとても興味があったということなんですよね?

中村

写真やカメラはいつも近くにあったような環境でしたね。
でも、親父の写真展に行った時に、ぱぁ〜っと見ただけで帰っちゃったんですよ。親父としては「なんだよ、なんか感想を言ってくれよ」みたいな。そこで僕は親父に「俺は見るより、撮るのが好きなんだ」って言って。失礼な話なんですけれど(笑)
それくらい、写真を撮ることには興味がありましたね。

いぬたく

日芸に入る前からも実際に色々と撮られてたんですか?

中村

ほんと趣味程度のものですけどね。

いぬたく

お父さんのカメラを借りたりして?

中村

そうですね。あとは写ルンですみたいなインスタントカメラで。覗いたらそれでもう楽しいんで。まぁ、スナップ程度でした。

いぬたく

なるほど。日芸に入られてからはダイビングもされてたんでしょうか?

中村

はい、卒業制作で石垣島の白保の青サンゴ群落を撮影していたんです。モノクロームで。
最初に大瀬崎の大瀬館で峯水亮さんに講習をしていただいて、大瀬崎に通って、それから石垣島へ行って撮ったという感じですね。

いぬたく

卒業制作の石垣島って自費ですよね?

中村

自費です、はい。

いぬたく

けっこう厳しくなかったですか?

中村

同級生は2年がかりとか、インドだとか海外へ行って撮ったりしてました。自分は船をチャーターするだけで1日6万とかで、これはちょっと厳しいな、と(笑)

水中写真家・中村卓哉インタビュー

中村

で、結局1回きり、単発でポーンと行って、撮った日数が3日間とかですよ。バイトをしてもお金なかったですし、カメラは1台ニコノスのV型を買って。あと1台は親父に頼み込んで、アクアティカっていうニコンのF3が入るハウジングを借りて。それで2台持って行って、グラスボートをチャーターしまして。
そしたら1本目にもうニコノスを水没させちゃって(笑) ニコノスには15ミリレンズをつけて撮ってたんですが、船に上がってみたらレンズが転がってて。それでもう1台きりになってしまって。
そんな感じで撮ったんで、今お見せできるような作品ではないんですけども。

いぬたく

なかなか困難な卒業制作だったんですね(笑) 大学時代も普段は伊豆の大瀬崎などで潜られたりしていたんですか?

中村

そうですね、やっぱり大瀬崎っていうのはホームグラウンドで、ちょくちょく行ってました。
50本目くらいですかね、生意気なことを言いまして。峯水さんに、「一人で潜りたいんですよね」って。峯水さんは「いやぁ、ちゃんと地形覚えてないんじゃないの?」って言ってたんですけど、「大丈夫!」って。
それで一人で行きまして。大瀬崎湾内の深場ですね。そうしたら、「あれ?」って。コンパス持ってなかったんですよ(笑)
とりあえず明るい方や浅い方に行ったら岸かなと泳いで行ったら、どんどん違う方向に行っちゃって。「やばいなぁ」って。そこでエア切れになってしまって、それでずっと水面移動で戻ってきたんですけど、峯水さんがもう心配そうに双眼鏡でずーっと自分を見てて。
こっぴどく怒られましたね。

いぬたく

(笑)そうですか。

中村

それから100本目まではガイドの練習をしました。峯水さんがお客さん役をやってくださって、僕がちゃんと地形を覚えて、コンパス見ながらナビゲーションして、普通のファンダイビングのコースを回って行くというトレーニングをやっていただいて。

いぬたく

峯水さんにつきっきりで教えていただいたんですか?

中村

そうですねえ、贅沢ですいません、はい。

いぬたく

当時お持ちだったのはニコノスだったということなんですが、いきなりニコノスで撮るって言っても、もちろん今のようにデジタルではないですし、自分なりの経験やデータがすごく大事ですよね。そういったものは、大瀬崎などに通われて徐々に撮りながら覚えたという感じだったんでしょうか?

中村

最初はですね、親父に言われたのは「止まってるものを撮れ」と。
ニコノスって言っても、距離でピントを合わせるじゃないですか。手の長さで、この肘の関節まで指先から50cmとか、肩から指先まで80cmだとか。そうやって被写体から距離を計って撮るようになるんですよね。被写体からストロボの距離が離れるとどんどん露出が変わってくるので、絞りを開けなきゃいけない、だとか。
でも動いてしまう魚だとその距離が変わってしまうので、親父は「最初はブイを撮れ」と(笑)

水中写真家・中村卓哉インタビュー

中村

それでブイばっかりを撮ってたんですよ。それで、もうつまんないなぁ、と。ちょっと色気がつき始めて、その辺にオキゴンべを「これだったら大丈夫だろう」と思って撮ったんです。ただ、撮ってるうちにオキゴンベがふっと逃げてしまうわけです。「あっちゃ〜」と思って、まぁ大体いいだろうと思って持って帰る。
で、師匠の親父に見せると「馬鹿野郎!」とブン殴られるわけですよ(笑) 「動くものを撮るなとあれほど言っただろ!」と。

いぬたく

殴られるわけですか!

中村

「もうやり直しだ!」と、そういう感じで、最初はブイとかムラサキハナギンチャクとか、そういうものばっかり撮ってましたね。

中村卓哉 “写真絵本”発売記念インタビュー

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