中村卓哉 “写真絵本”発売記念インタビュー
第7回:辺野古・大浦湾の“写真絵本”に込めた思い(2/3)
中村
すごく好きな写真家がいるんです。19世紀のアルフレッド・スティーグリッツっていう。
いぬたく
すいません、その方はちょっと存じ上げないですね…。
中村
近代写真の父と言われてて(アルフレッド・スティーグリッツ – Wikipedia)、奥さんはジョージア・オキーフという画家なんですけれど、その人の晩年の写真集で「イクィヴァレント(Equivalent)」っていうのがあるんです。
中村
イクィヴァレントってその人が言おうとしているのは「等価性、同じ価値がある等価性」ということで、その写真集の中で雲ばっかり撮ってるんですよ。若い頃の写真は、著名人だとか富裕層のリビングだとかを撮ってるんですけど、晩年になると雲ばっかり映ってる写真集になるんです。
それでなんで「等価性」っていうタイトルなんだろうって。
いぬたく
なんでなんでしょう?
中村
その人のコメントで、写真というのは写ってるものが珍しいとかではない、と。
対象として有名人を撮ったらそれだけで写真が評価されたりとか、豪邸を撮るとそれだけで綺麗な写真になったりとかしますけど、でも撮ったものが美しいから良い写真になるわけじゃないんだ、と。
有名人の上にも、豪邸を持ってる富裕層の上にも、貧しい人の真上にも、いつも雲があるよ、と。誰もが見ている雲は生活の一部ですけれど、そこに優劣はないと。それも一つの地球の一部だから、雲も意味があるわけですよ。
いぬたく
うんうん。
中村
大浦湾の海に関しても、この写真集は雲のページから始まるんですよ。大浦湾の上に厚い雲があって、そこから雨粒が一滴降ることによって、山の木々を洗い、虫の死骸や枯れ葉と一緒に土の中に染み込んでいって、バクテリア分解されて、有機物を水が取り込んで、川に流れ込んでいく。
それで徐々に栄養部を溜めてマングローブ、干潟、砂地の海へと入っていくんですけれども。そのプロセスにはいっぱい役割があるんですね。一粒の雨、葉の一枚一枚、砂の一粒一粒、そこに意味があって、海を作り上げるのは海だけじゃなくて、他の細かい、当たり前の、普段見慣れたものなんじゃないかと。
いぬたく
そこを伝えるというのはとても大切なことですよね。それが先ほどの「イクィヴァレント(等しい価値)」とつながるわけですね。
中村
今回の写真集で、珍しいものは何も写ってないんです。
ジュゴンってやっぱり大浦湾のシンボルなんですが、ジュゴンも一枚も出てきていません。今言っちゃいますけど(笑)
でも、海のグラデーションとか、葉の一枚一枚、砂の一粒一粒、そこに命を感じて見ていただきたい、と。そういう思いがあります。
いぬたく
なるほど、よく分かりました。初めは沖縄の西部を潜っていた中村さんが、初めて東部の辺野古を潜られて、海の色・グラデーションだったりに「おおっ」と心を動かされて…、
中村
はい。
いぬたく
それで、その海の背景にあるものに対する興味や好奇心によって視点が山や干潟やマングローブに移っていき、それら一つ一つの価値を改めて感じた、ということなんですね。
中村
そうですね。この海が豊かなのは、山と周りの自然が残ってるからだって、情報ではよく聞くんですよ。でもどういうことが起きていて栄養分の循環が行われているかっていうのを写真で表現するのってすごく難しい。それで、どうしたらいいんだろうと。
自分がそういう思いで海に入っても、沖縄の西海岸の海ではそれは表現できないんですね。そこで大浦湾っていうのは、それがリンクしたというか。あ、これなんだと。これだったら写真でも表現できる、子どもたちにも分かりやすく伝えられるぞ、と。
まず色で表現すればいいだろう、次に雲から水の循環の旅というのがあって、その循環がこの海を生かしていることを写真でも表現できるっていう。大浦湾というのはその被写体・舞台としては事欠かないですね。
いぬたく
それが小学校低学年の子でも分かりやすく、まとめられてる本というわけですね。
中村
はい。
いぬたく
子ども向けと言えば、絵本というものがありますよね。お話をうかがっていて思ったのは、写真集と絵本の中間の“写真絵本”のようなものかなと思ったんですけれども、そんな感じなんでしょうか?
中村
はい、僕は昔から絵本が好きで。絵本って絵だけで表現する場合もあるし、文字や文章を大人が読んでも感動するっていうことあるじゃないですか。そういう方向にしたいなっていう思いはありました。だから「写真の上に文字は入れないで」とは言ってないですし、写真家としての変なこだわりはこの写真集では捨ててます。子どもたちが見て何かを学べるように、ということを優先に作っています。