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中村卓哉 “写真絵本”発売記念インタビュー閲覧無制限

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第2回:ダイビングで自信がついた少年時代

いぬたく

初めてダイビングをされるまではほとんど運動をされてなかったということですけど、お父さんの水中写真は家でけっこうご覧になってたんですか?

中村

子供のころから家の中には親父が撮った写真集や雑誌に掲載された切り抜きがいっぱいありまして。父親の仕事というものがどんなものかってすごく興味があったんで、見てはいました。
けど、自分にはほんと遠い世界だと思っていて。まさかダイビングやるとは思っていなかったですし、水中写真家というのもちょっと現実離れした仕事だし。
友達に「親父何やってるんだ?」って訊かれて「水中カメラマン」って言っても「なんだそれ?」って感じですよね。

水中写真家・中村卓哉インタビュー

いぬたく

当時は水中写真自体、世の中にあまりないですもんね。

中村

もう全然普及してなかったんで。
ですから、親父の仕事ぶりを見てはいたんですけど、「こうなりたい」とかそういった願望は全くなく、本当に遠い世界でした。

いぬたく

それがあのダイビングを経験して、「自分もここに行けるんだ」っていう風に変わった、と?

中村

そうですね。肺炎も0歳の時にやったので、小さい頃は喘息も含めて呼吸器系がすごく弱かったんですね。夜も眠れないことが多くて、ベランダの窓を開けて外の空気を吸って、ひゅーひゅー、ぜいぜい言ってるという。なんとか「新鮮な空気、新鮮な空気!」って。時には、苦しくてベランダに置いてあったバケツに戻してしまったりとか、苦しくて。
だから、「この呼吸が止まったらどうしよう」という思いが子供の頃からありました。

いぬたく

そんな少年がいきなりダイビングをすることになったんですね。

中村

ダイビングってすごく呼吸を意識するスポーツじゃないですか。実際にダイビングを経験してみて、「すごいな、海というのは」と思いました。
一つの呼吸が泡になって浮いて、目で見える、音もボコボコって聞こえるし、触わることもできてしまう。呼吸を感じられるスポーツなんですよね。

水中写真家・中村卓哉インタビュー

中村

最初は「自分には不向きかもしれない」と思っていたんですが、やっていくうちにトレーニングになったんでしょうね。気がついたら、中学に入るくらいには喘息の発作はもうなくなっていましたね。

いぬたく

それはすごいですね。やっぱりそれは、精神的なものも大きいんでしょうか。

中村

そうですね。自信もついたと思います。
それまでは「自分は弱いからスポーツはやらない」だとか、すごく引っ込み思案なところがあったんですが、初めてダイビングをやってからはスポーツにもチャレンジするようになりました。野球やったりサッカーやったり、水泳も習ったりとかして。

いぬたく

中村卓哉さんから見て、今にして思うと、お父さんはそういう息子さんをなんとか変えてあげたいという気持ちがあって海に放り投げてみたんだと思いますか?どうなんでしょうか?

中村

まあそれは大人になってからもよくお酒を飲みながら話すんですが、親父は「まぁあの時は俺が悪かったなぁ」みたいな感じで(笑)
ただやっぱり、僕はそれまで弱いってことで甘やかされてて、おばあちゃんっ子だったんですね。けっこう駄々こねて学校行かないだとか、物が欲しかったら「おばあちゃん買ってー」みたいな、「いいよー」って甘やかされて育ったんですよ。
それをちょっと見かねて、親父なりの荒療法というか、「今回は絶対やれるまで止めさせない」ということで行くぞとは決めていたみたいです。

いぬたく

そうやって10歳の夏休みに海の中の世界を経験されて、2学期にクラスのみんなからも「すげえ」って言われたりすると、次に海に行くのってめちゃくちゃ楽しみじゃなかったですか?

中村

楽しみでしたね。親父もロケで家にいないことが多くて、ダイビングってなかなか子ども一人じゃ行けないので、素潜りがすごく好きになったんですね。それで伊豆へ行って川で素潜りしてみたりだとか。しょっちゅう川で遊んでたんで、おかげ様で息こらえがすごく長く持つようになって。
学校の水泳の時間に息止め大会みたいなのがあったんですが、僕だけ最後まで上がってこないもんだから、みんな僕のことを忘れちゃって、次のことを始めちゃってるんですよ(笑)
それぐらい川で素潜りは楽しんでましたね。

いぬたく

ダイビングをきっかけに、一気にアクティブになったんですね。

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