ダイビング・ガイドの責任とは? ~自己責任はマジックワードか~
バディダイビングが見直される中、「ガイドの役割・責任は?」という議論も起きています。
曖昧だった、ファンダイビングにおけるガイドの責任という議論はとてもよいことで、ぜひ、形にしていただきたいと思っています。
よりよい議論に進めるためにも、ガイドの責任というテーマの現状や考えるべきポイントを考察してみたいと思います。
ガイドは、案内人ではいられない!?
ガイド付きファンダイビングの事故の判例などを見ると、率直に、だいたいが「ガイドに厳しいなぁ」と思ってしまいます。
そんなこともあって、2013年に「今、手を打っておかないと、さらにガイドのリスクは増すかも」といった記事を書きました。
■ダイビングガイドの新局面。 急激に増す、ガイドという職業の法的リスクとは?
https://oceana.ne.jp/feature/201305_divingguide
もちろん、「ガイドのリスクは増す」という切り口は、僕がガイドを尊敬するがゆえの危機感、思いであり、一方では、正当な道へ向かっているという見方もあります。
その後、目につく事故の判例やニュースを見ると、やはり、この記事で書いた理想の「ガイドとの潜り方」の実現は難しいと言わざるをえません。
(僕の考える理想のガイドの役割)
「Cカードを取得したダイバーは、バディと二人で潜れるだけの、いわゆる“一人前のダイバー”で、自らリスクを理解したうえで潜っており、その水中活動は基本的にはダイバー自身の責任。ガイドとしては、自分たちだけで潜れるレベルのダイバーに、海の案内をし、フィールドのリスクはお伝えしても、自分のことは自分でしてね」
2014年の事故を扱った次の記事は、偏っていて、かなり情動的なのであまりリンクしたくなかったのですが、争点やショップのコメントなど気になる点がありました。
■空気ボンベ使い回し、ガイド基本無視のダイビングツアーで「花嫁」は“殺された”…ハネムーン目前「あまりにかわいそう」と父は泣いた
http://www.sankei.com/west/news/140813/wst1408130001-n1.html
この件に関していただいたメールやご意見の多くは「業者側がひどい」といった内容でしたが(まあ、書き手の意思が思いっきりそっち方向なので)、今回、この事故自体についての感想は避けます。
あくまで、記事から読みとれる事実や争点、コメントから、率直に「もはや、ガイド付きダイビングに自己責任の視点、Cカード認定内容の視点はないんだなぁ」と改めて思いました。
念のためもう一度言っておくと、この裁判自体の感想ではありません。
おそらくこの状況で自己責任もへったくれもないでしょう。
また、記事が偏っているのでそうした情報だけが出ていることもあるのでしょうが、こう受け止められるんだよな、と。
最も気になったのが、新聞上でのプロ側のコメント。
ツアーも企画する大阪市内のダイビングショップのスタッフによると、「参加者に初心者がいる場合、2~3人に1人の割合でガイドを付けなければ、安全管理の目は行き届かない。1グループあたり9~10人を2人のガイドで見守るというグループ編成自体に無理があったのではないか」。
このコメントに対する僕の感覚は、認定ダイバーなら、初心者だろうが何だろうが、1グループ10人を2人のガイドで十分だろうと思うわけですが、一方で、“認定”のクオリティが保たれていない現状、また、都市型ショップのスタイル上はこういうコメントになるんだろうな、とも思うわけです。
ただ、現地ガイド側としては、2人に一人のガイドをつけないといけない決まりは、結構、厳しいんじゃないでしょうか。
そもそも認定って何? ってことにもなりますし……。
とまあ、業界側でも立場によって意見が分かれるところですが、もうすでに、良いとか悪いとか言う以前に、以降の事故例を見ても、たとえ無罪判決が出た裁判でも、「ガイドには重い注意義務があります」と明言されています。
■ダイビング事故のツアーガイドに「無罪」の判決・・・ダイビングは「自己責任」か?
https://www.bengo4.com/other/1146/n_1653/
ガイドは、案内人ではいられなそうです。
ガイドには
重い注意義務がある
とある大手旅行社は、ファンダイビングのガイドラインがなくて商品を作る上で困っていましたが、こういうのって、ある意味、「ダイビングとはこういうものです!」というのを納得させる勝負、戦いでもあるわけです。
おそらく紀伊半島の事故を書いた記者はよくダイビングを知らないという印象ですし、裁判官だってダイビングをしている人の方が少ないでしょう。
ショップツアーにおけるガイドと一見さん相手の現地サービスのガイドで結構な違いがありますが、そんなことから理解させる必要があり、ダイビングを知らない、世間、メディア、司法を納得させる戦いなわけです。
こういう議論で必ず出てくるのが「ダイビングは自己責任」という言葉。
僕は今でもそうあるべきだと思っていますし、「ガイドは文字通りガイドで、水中を案内する役割」という意見にも同意ですが、記事の中でコメントしている林朋寛弁護士の言葉を借りれば、こういうことです。
『自己責任』のマジックワードで、ガイドや業者等が免責されるわけではありません
これは、裏を返せば、自己責任という言葉がご都合主義的に使われてきたとの指摘であり、まさに紀伊半島の事故の業者側が「自己責任だ!」を主張しても通らないでしょう。
だからこそ、「ガイド付きダイビングっていうのはこうだ!」「ガイドの職責の範囲はここまで!」をガイドたちが作って、運用実績を積み重ねて、納得させなければいけなかったのでしょう。
しかし、同じプロでも、現地と都市型も意見は違いますし、「ガイドがゲストの命を守るのは当たり前」という信念に基づく方もいますので、なかなかひと筋縄ではいきません。
いずれにせよ、判例が出ている現在、ガイドと潜る場合においては、「ダイビングは自己責任だから」はマジックワードとはなり得ないのが現状かもしれません。
「ガイドには重い注意義務がある」は、すでに前提と言っていいでしょう。
今、必要なのは、
ガイドの注意義務の範囲
ただ、商品スポーツ事故の法的責任をもとに活動してきた中田誠さんの主張する注意義務なんかを読むと、かなり厳しい印象ですので、注意義務の中身は、議論すべきでしょう。
安全管理の度合いばかりが大きくなれば、ガイドという仕事そのものが成り立たないですし、そもそもCカードってなんだ、ということになります。
■商品スポーツ事故の法的責任
http://d.hatena.ne.jp/ronnor/12091125/1273680515
再度、先述の林朋寛弁護士の言葉を借りれば、注意義務は裁判例の積み重ねから検討することが大事です。
ガイドにどんな注意義務が必要だったかは、事案によっても異なります。参加者の安全を確保して事業を運営していくために、ガイド等にどんな注意義務が課されるのか、裁判例の積み重ねから検討していかなければなりません。本件の無罪判決は、その検討にも役立つと思います引用した本文をここに入れます。
そういう意味では、この裁判で札幌地裁が示した判決の意味は大きいでしょう。
札幌地裁は、『(被告人には)海中で客と3~4メートルの距離を保ち、排気の泡の状態や泳ぎ方、マスク越しにうかがえる表情を確認する以上の注意義務はなかった』という判断を示したと、報じられています。
上野弁護士がこの裁判について解説していますので、ぜひご一読を。
■ファンダイビングにおけるガイドの監視義務の範囲は?ある無罪判決の事例
https://oceana.ne.jp/accident/50532
「ガイドが5秒~10秒に1回の観察」の義務という争点自体が僕には驚きなんですが、もう、こういうことが争点になる時代ってことです。
これが義務なら、生物探せないですよね……。
しかし、判例が積み重ねられる前に、その判例に影響を与えうる、業界やガイド側からの提言、ガイドラインが示されることが理想的ではないでしょうか。
議論の内容も、もうポイントは、「ガイドの役割とは何ぞ?」から移っていて、法的リスクを知った上で、「ガイドの注意義務とは何ぞ?」と具体的な議論と提言を、ある程度形にすることが大事だと思います。
実際問題、Cカード講習の内容やバディダイビングができるスキルがあやしくなっていると言われる現状、僕もガイド付きのダイビングが、安全のためにも、楽しむためにも、一番理に適っている潜り方だと思っています。
だからこそ、ガイドもダイバーも役割を理解した上で潜った方がお互い幸せだと思います。
「とにかく、この人についていきさえすればよい」と思っているダイバーと「ダイビングは自己責任ですから」と思っているガイド、つまり、役割の認識が異なる者同士が一緒に潜ることが一番の不幸ですよね。