楽しいダイビング旅行のために知っておきたい「旅行者下痢症」

突然訪れるお腹の異常……。旅行中に、もしくは旅行後に下痢になることを「旅行者下痢症」といいます。特に、発症が多いとされているのが、多くのダイバーが好む僻地(へきち)。海外の魅力的な海で安心してダイビング旅行を楽しむために、千鳥橋病院感染症科部長である八板謙一郎先生に、旅行者下痢症の基本情報と、予防法や治療法について教えていただきました。

【Profile】八板謙一郎先生
千鳥橋病院 感染症科部長。2007年に産業医科大学を卒業。その後、健和会大手町病院感染症内科、横浜市民病院感染症内科などに務め、2014年より久留米大学病院感染制御部助教。2017年、同副部長に就任。2018年より現職。保有資格=日本渡航医学会認定医療職、日本感染症学会専門医、日本エイズ学会認定医、日本内科学会総合内科専門医、医学博士
※2018年取材時

※本記事はDAN JAPANが発行する会報誌「Alert Diver」2018年11月号からの転載です。

CAPTHER01 「旅行者下痢症」とは?

帰国者診療で最も多い疾患は旅行者下痢症である

海外旅行中、または旅行後に下痢をしたことがある方は多いのではないでしょうか?もちろん、私にも経験があります。海外旅行でモンゴルを訪問した際、それまで経験したことのないような下痢に見舞われました。その後に行ったカンボジア、ラオスの旅行でも同じように旅行中に下痢を経験しました。

このように、旅行中もしくは旅行後に下痢になることを「旅行者下痢症」といいます。一般的に、高所得国の国民が、比較的不衛生な環境であることが多い低〜中所得国に旅行する際に発症することが多く、その頻度は1ヶ月間旅行すると、30〜80%の旅行者に見られるという試算もあります。

私たちのように海外からの帰国者診療を行う医療従事者にとってはもっとも診察することが多い疾患です。旅行者下痢症を発症すると、不衛生な環境における経口摂取などにより、通常では口に入らないはずの微生物が体内に侵入し、これが腸管に炎症を起こして、大なり小なり旅行の妨げになることがあります。

旅行者下痢症は4つに分類される

次に、旅行者下痢症の定義・分類について考えますと、国際渡航医学会による2017年出版の最新のガイドラインに記載があります(図1)。

これを元に、前述にある私自身が罹患した旅行者下痢症の経験を例として考えてみると、ラオスではトイレに頻繁に行く程度だったので「軽症」、モンゴルでは苦痛でお土産よりトイレを探していたので「中等症」、カンボジアでも嘔吐を伴い予定した食事を食べることができなかったので「中等症」、とそれぞれ定義づけできます。

■図1 旅行者下痢症の分類(J Travel Med. 2017;24(suppl_1):S57-S74.より引用)

旅行者下痢症の主な原因は「大腸菌」と「カンピロバクター」

では、なぜ旅行者は下痢をするのでしょうか? 旅行者下痢症は、国内での下痢の大部分と同じように、原因となる微生物が口から侵入し、それが腸管に炎症を起こす感染症の1つです。

その原因となる微生物の種類はさまざまですが、代表格から順次紹介します。まず、旅行者下痢症の原因としてもっとも多いのは、大腸菌(腸管毒素原性大腸菌、腸管凝集性大腸菌)とされています(表1)。しかし、渡航する国によってもその疫学は少しずつ違っており、東南アジア、南アジアでは鶏肉に混入していることが多い「カンピロバクター」という細菌が原因になることが多いことも知られています。また、意外に国内でも食中毒を引き起こす「ノロウイルス」が旅行者下痢症の原因になることも多いようです。

カンピロバクターやノロウイルスは、実際の診療でも国内感染症例をよく見かけます。潜伏期間(感染から発症までの期間)は、それぞれ大腸菌は12〜72時間、カンピロバクターは2〜7日、ノロウイルスは12〜48時間とされています(ただし、免疫不全者の場合はこれ以上の日数になる場合があります)(図2)。決して、直近の食べ物が旅行者下痢症の原因とは限りません。このため、診療する医師からも、少し前の食事歴まで聞かれると思います。

このような微生物が腸管に感染して腸炎を起こし、嘔吐や下痢、発熱を引き起こすのですが、症状には少しずつ違いがあります。カンピロバクターは特に発熱をきたすことが多く、ノロウイルスは嘔吐をきたすことが多いです(ちなみに私自身のカンボジアでの経験では嘔吐症状が大変強く、ノロウイルスだったのではないかと推測しています)。

特に、感染症外来で受診が多い「カンピロバクター腸炎」は、初期には頭痛や発熱だけで発症し、1日ほど遅れて下痢を発症することも多いです。そのため最初は「すわ、髄膜炎※1か!?」と勘違いすることもあります。私自身の経験になりますが、発熱・頭痛の精査目的として入院した患者が、下痢になりカンピロバクター腸炎を発症していることに後から気づいたことがあります。

※1 髄膜炎=髄膜(脳と脊髄を覆って保護している薄い3層の組織)の炎症。緊急の処置を要する。

■表1 重要な微生物と渡航地域(JAMA. 2015;313(1):71-80.より引用)

長引く下痢、原因は寄生虫?

また、旅行者下痢症には「持続性」という分類があります(図1)。では、「持続する」とは一体どういうことでしょうか?今までは細菌やウイルスを旅行者下痢症の原因として挙げてきましたが、ほかの原因として、「ジアルジア(ランブル鞭毛虫)」や「赤痢アメーバ」をはじめとする原虫(単細胞の寄生虫)など、日本国内では珍しい寄生虫が検出されることもあります。特に、ジアルジア症は、南アジアからの帰国者にまれに見られます。特徴の1つとしては、有症状期間や潜伏期間が一般的な細菌やウイルスよりも長めで数週間になるところです (図2)。

同じく持続性といえば、近年PI-IBS (post-infectiousirritable bowel syndrome 感染性腸炎後過敏性腸症候群)という概念も提唱されています。これは、感染性腸炎の後に、元々腸の病気を持っていないにも関わらず下痢が続くという状態です。旅行者下痢症の後にも同じ報告があります。医療機関で原虫などの持続性となる原因が見つからない場合は、検討されるべき疾患と考えます。

■図2 旅行者下痢症の原因

細菌・ウイルスのほか、長引く下痢は寄生虫も疑います

CAPTHER02 「旅行者下痢症」の予防法とは?

現地の水は決してそのまま飲まない

不衛生な環境においても、人間は食事や水分を摂ることを中断することはできません。そのような環境で旅行者下痢症をどのようにして予防すればいいのでしょうか?

予防法については、昔からいくつかの方法が提唱されています。食事前に手指のアルコール除菌をする、ペットボトルの水を飲む、歯磨きでもペットボトルの水を使用する、レストランでの氷を断る、見た目から不衛生そうな印象を受けるレストランは避ける、生もの(生野菜を含む)を避ける、といった内容はご存じの方も多いでしょう。

また、レストランで飲料用にペットボトルで水が出てきても、それを入れるコップにはいった氷が必ずしもその水を使用して作られたものとは限りません(写真01)。ただし、水からの感染を予防できたとしても、まだ安心とはいえません。

個人が防御していても、外部から見ることのできない厨房の環境や、従業員の手指衛生の問題などが原因で、レストランで提供される食事がすでに汚染されている可能性もあります。このため、前述したような注意点について、おそらく全部しっかりと守れる方は少ないのではないでしょうか。また、個人的にしっかり予防している人でも旅行者下痢症の発症を防げなかったという報告もあります(JAMA. 1983;249(9):1176-80.)。

■写真01(タイのレストランにて。筆者撮影)

何も言わないとこのように氷が入ってくることもあります。最初に断ることも可能です。なお、この氷が水道水で作られたものかは確認しておりません

もちろん、一般的な注意点(MEMO参照)については私も外来でお話ししますが、何点か付け加えてお話しすることにしています。まず1つ目は、アルコールの手指衛生用品については携帯用の小さなものが薬局などで売っていますので、虫除けスプレーとともに購入して持参すること。

2つ目は、現地のトイレには常にトイレットペーパーがあるわけではないので、持参することです(写真02)。私のモンゴルでの経験談になりますが、トイレを見つけてもトイレットペーパーがなかった辛い経験があり、それ以来海外に行く際はつねに携帯するようにしています。

そして3つ目は、予防のためのワクチンについてです。私は、受診された方に対して以下のことをお話しするようにしています。

■写真02(インドのレストランにて。筆者撮影)

海外ではいつでもトイレにトイレットペーパーがあるとは限りません

■MEMO:旅行者下痢症の予防法(Pediatr Infect Dis J. 2016;35(6):698-700.より一部抜粋・改変)

コレラのワクチンにはある程度下痢の予防効果がある

旅行者下痢症に対して、「コレラ菌」のワクチンにある程度の予防効果があることが知られています。これは、コレラが日本人旅行者の罹患した旅行者下痢症の原因で多いというわけではありません。コレラ自体も激しい下痢を呈する疾患ですが、日本では年間数人の発症例しか報告されておりません。では、なぜ旅行者下痢症に効果があるといわれるのでしょうか?

それは、このワクチンは腸管毒素原性大腸菌が産生する毒素に関しても限定的とはいえ防御作用があるからです。ただし、旅行者下痢症全体で見た場合の有効性は7%以下という試算もあるため(Lancet Infect Dis. 2006;6(6):361-73.)、予算に余裕のある方が選択肢として考慮するのが良いのかもしれません。もちろん、コレラが流行している地域(東アフリカなど)では、コレラ自体の予防のために重要なワクチンです (私も接種しております)。なお、コレラ菌のワクチンは日本では未認可のため、輸入しているクリニックを日本渡航医学会のウェブサイトなどで検索することをおすすめします。

旅行者下痢症の予防薬として、通常は抗菌薬の予防内服は推奨されておりません。元々の健康状態、持病などが心配な方は、トラベルクリニック※2での相談をおすすめします。なお、予防として整腸剤(プロバイオティクス)が用いられることもありますが、これに関しては、有効だという結果や無効だという結果などさまざまな報告があります。先に紹介した国際渡航医学会のガイドラインの中でも評価もまだ定まっておりません。ただ、この薬剤は安価で市販もされているので情報提供は行うことにしております。

なお、前述の「ノロウイルス」や「ロタウイルス」などのウイルスは、下痢や嘔吐物から感染する危険性があります。少しでもそれらが衣服などに付着したら、旅先では熱湯での煮沸消毒をするようにしましょう。また、トイレなどの環境からも感染するので排泄後や嘔吐後の便器には消毒をしてもらうようにしてください。

※2 トラベルクリニック=海外旅行、または海外で生活する方の健康上の指導や感染症の治療を専門とするクリニック

外務省「世界の医療事情」
https://www.mofa.go.jp/mofaj/toko/medi/index.html

日本渡航医学会「海外トラベルクリニックリスト」
http://jstah.umin.jp/02tcForeign/index.html

COLUMN 未認可ワクチンについて

日本国内において製造販売承認を得ていないワクチン。国外で広く有効性と安全性が認められていれば薬監証明制度に基づき海外から輸入して提供することが可能です。ただし、予防接種法、施行令によって健康被害に対する救済制度の対象外です。

CAPTHER03 「旅行者下痢症」の治療法は?

軽症には止痢薬、中等症以上の場合には感染症科の受診を

では、実際に旅行者下痢症を発症した場合はどうすればいいでしょうか?トラベルクリニックによっては止痢薬を自由診療内で処方しているところもあると思います。これは医学的にも正しい選択です。前述した国際渡航医学会のガイドライン内でも軽症の旅行者下痢症では第一推奨となっています(図3)。

■図3 旅行者下痢症の治療方

ただ、中等症以上の下痢、発熱をきたすような下痢などは現地でも医療機関受診、また帰国後に発症した場合は感染症科のある医療機関受診をおすすめします。理由は2つあり、1つ目は、抗菌薬が必要となる旅行者下痢症の可能性があること。2つ目は消化器症状(下痢、嘔吐)が必ずしも消化管(食道、胃、十二指腸、小腸、大腸)の感染症による症状だけを示すものではないからです。

抗菌薬が必要となる旅行者下痢症についていえば、「細菌性赤痢」がその代表です。前述にある赤痢アメーバは原虫が原因なので「寄生虫症」に分類されます。細菌性赤痢は「細菌性」なのでまったく別の病原体となります。日本国内での感染は少なく、その多くは旅行由来の感染症として診察します。私自身も少数の症例を経験しておりますが、発熱しひどい下痢になることもあり、抗菌薬による治療が必要な疾患です。

消化管の感染症による症状以外の旅行者下痢症については、たとえば腸チフスという病気があります。これはインドをはじめとする南アジアに旅行する方でたまに見られる疾患で、「腸」と名前がついているにも関わらず腸炎症状を起こさないこともあり、病気の本態は菌が血流の中で感染している「菌血症」です。しかし、たとえば腸チフスの患者が、腸炎+発熱の症状を引き起こしていたらどうでしょうか。腸チフスを旅行者下痢症と勘違いして抗菌薬なしで放置するわけにはいきません。

また、アフリカやオセアニアの島国で流行しているマラリアは、下痢を引き起こすことも知られています。マラリアは、私たち旅行者診療を行う医師としてももっとも危険な疾患です。仮に、症状が下痢だとしても、発熱があったり、流行国への旅行歴があったりすれば、私たちはマラリアの検査をしなければなりません。

発熱をともなう中等症以上の下痢の場合は医療機関へ

しかし、日本はともかくとして、海外ではどこの医療機関を受診していいのかわからないという方も多いのではないでしょうか?このために旅行前に外務省の在外公館医務官による「世界の医療事情」をご覧になることをおすすめします。

このサイトには、現地で日本語や英語が通じる信頼のある医療機関、そしてその診療内容などが国別に掲載されており、とても参考になります。また、数はまだ少ないですが、日本渡航医学会のウェブサイトにも海外クリニックが掲載されているので参考にしてください。

経口補水液を持参しておこう

では次に、医療機関を受診する以外に自分でできる対処法について考えます。下痢症になった後の食事、水分摂取にも工夫は必要です。前述で紹介した国際渡航医学会のガイドラインと同じ2017年に、米国感染症学会は感染性腸炎に関するガイドラインを出版しています(ClinInfect Dis. 2017;65(12):e45-e80.)。

この中では重症ではない下痢の場合は経口補水液(ORS: Oral Rehydration Solution)が推奨されています(図3・4)。日本でも市販されており、粉末製剤もあるので海外に持参することも可能です。服用することによって嘔吐・下痢で喪失した水分や電解質を補うことができます。ただし、殺菌作用があるというわけではないので、溶かす水はペットボトルの水を使用してください。もちろん、重症の場合には点滴治療も必要になりますので、すべて自己治療するような無理は禁物です。

■図4 推奨される海外旅行の持ち物

本誌「Alert Diver Monthly」の2017年3月号と2018年4月号にそれぞれ大越先生、近先生が寄稿されているように、旅行前のトラベルクリニック受診は、ワクチン接種だけでなく、旅行者下痢症のような旅行中の健康被害にどう対応するか、またどう予防するかという相談の場としても大変重要なものだと考えています。 ぜひ、旅行前にトラベルクリニックへ足を運んでください。そして本稿がみなさまの安全で楽しいダイビング旅行の一助となることを祈っております。

旅行者下痢症を知る ダイバーのためのケーススタディー

ダイビングの現場で起こりやすい旅行者下痢症に関する問題をいくつかピックアップ。八板先生にお答えいただきました。
※実際のケースに関しては個別の現場判断が優先されますことをあらかじめご了承ください

CASE 01:クルーズに乗船中で数日間下船できない!どうしたらいい?
A:クルーズ船ではノロウイルス感染症がたまにアウトブレイク※することが知られています。軽症であれば今までお話ししてきた対応が可能かもしれません。中等症以上であれば現場のスタッフへの相談を要します。現場の指示に従ってください。
※アウトブレイク=感染症について、一定期間内に、ある限られた範囲内あるいは集団の中で、感染者が予想よりも多く発生すること。特に、その集団内ではこれまで見られなかったような感染症が急激に広まること。

CASE 02:僻地で潜っていて病院まで遠い!どうしたらいい?
A:アクセスの悪さという意味ではクルーズ船と同様の条件ですが、中等症以上であれば大事に至る前に都市部の医療機関へ向かったほうが無難です。DAN JAPANの会員であれば、緊急ホットラインとは別に、海外でのケガや病気の場合に日本語で援助してくれる「日本語緊急アシスタンス」に連絡し、対応を依頼するのも良いでしょう。

どの地域・国の僻地に滞在しているかにもよりますが、滞在期間によっては、マラリアなど下痢を起こす致死的な疾患の可能性もあり、安易にそのままそこに滞在可能ということを申し上げることはできません。

日本語緊急アシスタンス
DAN JAPAN会員カード裏面にQRコードとURLが記載されています。出発前に、渡航する国の連絡先を確認しておくと安心。

CASE 03:どうしても潜りたい!紙おむつを着用する?それとも市販薬でしのぐ?
A:どのような状況においても、体調不良のままダイビングすることが良い選択肢とは思えません。不調を感じた場合には回復するまで待ち、ダイビングには万全の体調で臨むことをおすすめします。

CASE 04:ダイビング前に下痢止めを服用しても大丈夫?
A:軽症例では使用可能です。ただし、あまり無理をせず、下痢が悪化する、血便や発熱がある、腹痛がひどくなるなどの場合は医療機関への受診を強くおすすめします。

CASE 05:旅行者下痢症にかかってしまったかもしれない!?
A:ほかのダイバー仲間たちへ感染させないためにも、感染症科のある病院に行って診療を受けましょう。

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