減圧症の考え方は両輪!?
減圧症やその周辺のこと(ダイコン、予防法、ルール)に関して、
ツイッターの言葉足らずで質問やご批判を頂戴しているので、
自分の減圧症関連に対するスタンスを述べておこう。
これらのことについて質問されることは少なくないが、
とても楽観的に考える人・無知な人には原則的なことを答えるし、
よく勉強しているのはいいが、心配ばかりしている人・怒ってばかりいる人には楽観的なことを伝えている。
結果、二枚舌、あるいはダブルスタンダードだと言われることがある。
そればかりか、〝運〟という言葉を出して怒られたこともあるが、
この”運”という言葉は減圧症を考えるうえで大事なキーワードであることは間違いない。
まず、減圧症やその周辺のこと(ダイコン、予防法、ルールなど)を
理解する上でのポイントは、「人の体を数値ではかっている」ということ。
この大前提を踏まえた上で、次に理解すべきは、
この〝数値の理解・議論・洗練〝が大事であると同時に、
〝そもそも数値化するのが根本的に無茶〝という認識も大事であるということ。
この両輪が大事。両輪がそろって、さらに俯瞰することが大事なのだ。
これが片輪走行だと、前者は安全原理主義ダイバーになり、
後者は能天気ダイバーになってしまいがち。
例えば、浮上速度の話。
毎分9㍍は妥当か、その根拠は何か、などなどの議論はとても大事だが、
その数値を守れなかったからといって目くじら立てて怒ったり、
心配し過ぎるのはよろしくないし、
逆に「なるときゃなるんだし」と猛スピードで浮上するような開き直りもよろしくない。
この両輪を意識できれば、議論も建設的になる。
例えば、浮上速度や安全停止の水深・時間、ダイコンの議論があったとする。
これはまさに数値の議論なので、ここは〝あえて〝片輪に絞り、
数値の議論を深め、理解する機会や選択の材料にするのが最善だろう。
実際、コミュなどでも有意義な議論があってとてもためになる。
それなのに両輪を意識しないまま、こうした数値の議論の最中、
「個人差がある」、「あくまで計算だから」といった冷や水をぶっかけても意味がない。
あえて片輪の話を深めているのに、もう片輪の話を持ち出せば、
どっちも正しいから話が混乱して停滞するだけだ。
反対に、数値にだけ縛られて片輪走行で突っ走ると、
「減圧不要限界も知らないなんて危険だ!」と〝本気で〝怒ったり、嘆いたりすることになる。
「自分だって初心者のころはよく知らなかった」ことや、
「よくわからず潜っていても何ともない人がほとんど」という事実を忘れて。
つまり、減圧症は、
〝運だと言っちゃーおしまいよ〝であると同時に
〝運である宿命も受け入れなければならない〝ということだ。
どちらも欠けてはならない。
であるから、こっちの片輪しかない人にはあっちの片輪の話をするし、
あっちの片輪しかない人にはこっちの片輪の話をすることになるのである。