多くの食中毒の末に日本食に根付いたフグ。その意外な貢献者とは?
夏の足音が聞こえてきました近頃ですが、今回は日本の冬の風物詩、フグについての豆知識をお届けします。
フグと言えば、日本人にとってはポピュラーな魚ですよね。
日頃ダイビングをしている人の中には、フグは食べるより見るほうが馴染みがある、という人もいるでしょう。
かたや、フグを食べない冬なんて冬じゃない、という人もいるでしょう。
実は、日本におけるフグ食の歴史ってとても長いんですよ。
約二万年前のものとされる出土物の中にフグの骨があったり、平安時代の日本最古の医学書『本草和名』の中に「布久」、と書かれたフグの記述があったりもします。
フグ食の歴史は、日本の歴史と一緒に現代まで続いているのです。
「あら何ともなや きのふは過ぎて ふくと汁」
こちらは、かの有名な松尾芭蕉の俳句。
「昨日はフグ汁を食べたので、心配して過ごしたけれど、なんともなかったなぁ。よかったよかった」という意味です。
松尾芭蕉の生きた江戸時代初期まで、フグ料理は庶民に人気があったそうですが、その安全な調理方法は確立されておらず、しょっちゅう中毒者が出たということです。
ちなみに、この時期に「当たると命はないから」という理由で、関西を中心に、フグは「てっぽう」と呼ばれるようになります。
そして、あまりに中毒者が出るもので困り果てた江戸幕府は、フグ食を禁止する御布令をだします。
武士がこれを破ると家禄(当時の給料のようなもの)を没収されたり、市民は牢屋に入れられたりと、厳しいものだったそうです。
「鰒汁を 食わぬたわけに 食うたわけ」
鰒とは江戸時代のフグのこと。
当時禁止こそされましたが、それでも庶民に人気があったそうです。
毒を恐れてあんなに美味しいフグを食べないのは愚かだが、毒があるのを知りつつ食べて中毒になることも愚かだ。
こんなむちゃくちゃな俳句も、フグ食禁止の江戸時代に残されています。
このフグ食禁止令は幕末の世の乱れの中でうやむやになりますが、フグ中毒の患者の増加に頭を抱えた明治新政府は、再びフグ食禁止令をつくります。
現在の日本にはフグ食禁止令は無いわけですが、近代日本のフグ食解禁のきっかけとなったのは、実は時の初代内閣総理大臣、伊藤博文なのです。
ある日、山口県は下関を訪れた伊藤公は、活魚が食べたいと言い出します。
しかし、その日は海が荒れたので伊藤公に出せるような活魚がなかったのですが、それでも活魚が食べたいと言い張る伊藤公。
そこで女将は「打ち首になる覚悟でこれを出します」と言い、フグ刺しを出したそうです。
伊藤公は、そのフグ刺しのあまりの美味しさに感動し、
「こんなうまいものを食わせない法があるものか!」
と言い、当時の山口県令(現在の知事のような役職)に命じて、山口県においてフグ食を解禁させたのでした。
美味しいからと言って法律を変えてしまうと元も子もないような気がしますが…。
何はともあれ、伊藤公の決断、ひいては伊藤公にフグ刺しを出すという女将の英断のおかげで、現在ぼくたちは美味しくフグをいただくことができるのです。
せっかくフグ食の長いの歴史がある日本に住んでいるのだから、美味しいフグを食べたいものですね。