海底に眠る太平洋戦争の情景 ~戦後70年。パプアニューギニア・ラバウルの海を潜る~

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パプア・ラバウル(撮影:越智隆治)

火山観測所から見たシンプソン湾。手前がラバウル市街。シンプソン湾を囲むように、右手にブルカン山、左手にタブルブル山が見える

先日、パプアニューギニアのニューブリテン島にあるラバウルの海を潜る機会を得た。

ラバウルといえば、太平洋戦争中、日本国内以外で最大の日本軍の拠点が置かれたとして、連合軍側からは、「ラバウル要塞」と呼ばれ、最大9万余の大軍が配置されていた。

戦時中、連合軍の度重なる空襲を受けて、日本の軍艦や輸送船の多くが、日本軍の司令部が置かれたシンプソン湾内部に沈んでいる。
カルデラ状の湾になっている、同湾内に沈む沈船の数は100隻を超えるといわれていて、レックダイビングのメッカでもある。

しかし、1994年にシンプソン湾を挟んだ西側のブルカン山と東側のタブルブル山の同時噴火により、ラバウル市街に甚大な被害を与え、南東に20km離れたココポに新政府機関と新空港を移転した。

また、海中にも多くの火山灰が体積し、これらの沈船を覆い尽くし、まともに潜れる沈船の数も噴火後には、その数を減らしたそうだ。

パプア・ラバウル(撮影:越智隆治)

1994年の噴火で火山灰に覆われた旧ラバウル市街跡地の建造物。奥の黒い山が現在も活動を続けるタブルブル山

今回潜ったのは、その中でも最も大きく、しっかり形の残っている日本の貨物船・イタリー丸、シンプソン湾の外洋側で沈められた、ジョージズレックという、発見者の名前が付けられた日本軍の貨物船(名前が確認されていない)、そして、水深2mと水深30mに沈んだゼロ戦2機。

イタリー丸は、水深45mの海底に、左舷を上に向けて沈んでいた。

最初、透明度の悪い海中にアンカーロープを辿って潜降したときには、横倒しになっていることを聞いていなかったので、左舷の広さに、「あれ?これは空母だったっけ?」と一瞬勘違いしてしまった。

パプア・ラバウル(撮影:越智隆治)

アンカーロープを使い、水深30mの左舷まで潜降する

パプア・ラバウル(撮影:越智隆治)

被弾した穴から船内へと潜降していく

短い暗闇ではあるが、決して気持ちの良いものではない。
しばらく撮影しているうちに、すでにデコが出てしまっていた。

パプア・ラバウル(撮影:越智隆治)

しばらくの間暗闇が続く、イタリー丸の船内

このイタリー丸には、2度潜らせてもらった。

2mに沈むゼロ戦は素潜りで撮影し、水深30mに沈むゼロ戦には、浅いリーフからすり鉢状に落ちていくスロープを辿ってゼロ戦が沈むポイントまで移動した。

火山灰の堆積した黒い海底に沈むゼロ戦。

この操縦者は生還できたのか、できなかったのか。
やはり最初に脳裏によぎるのは、そんな戦時中そこに生きて戦っていた人たちのことだ。

パプア・ラバウル(撮影:越智隆治)

水深2mに沈むゼロ戦

パプア・ラバウル(撮影:越智隆治)

火山灰に覆われた水深30mに沈むゼロ戦

最後に潜ったのは、ジョージズレック。

外洋に沈んでいるだけに、透明度は、先の2箇所に比べて高く、巨大な貨物船ではあるが全容が確認できる。
島に向かって垂直に沈むこの船は、船首が水深12m。船尾は、水深55m付近に沈んでいる。

パプア・ラバウル(撮影:越智隆治)

ジョージズレック

戦時中、この船が撃沈されたのを目撃した地元の老人から語り聞いている話では、被弾した後、船長が岸に突っ込んで、少しでも多くの物資と人命を守ろうとしたのだという。

しかし、沈んでいく船の周囲は真っ赤に染まっていたのだとか。

すでに、70年。しかし、まだ70年。

表情には出さないが、海中に沈んだ無残な残骸を見ていると、どうしても命をかけて戦った人々のことに思いを馳せてしまい、今でも胸が締め付けられる。

その思いを無理にでもかき消そうとするかのように、自分は、この海中に沈んだ船や飛行機に息づく生命を探し、撮影することを心がけた。

パプア・ラバウル(撮影:越智隆治)

ゼロ潜のプロペラ付近のイソギンチャクにはスパインチークアネモネフィッシュがいて、モノトーンなイメージに彩を与えてくれていた

パプア・ラバウル(撮影:越智隆治)

ジョージズレックにいた、ツノダシとハタタテダイ

ウミシダが付着したジョージズレックの船体

ウミシダが付着したジョージズレックの船体

陸にも戦跡は残っている。

有名なのは、山本五十六総司令官がブーゲンビル島で撃墜される直前まで指揮を執っていた海軍司令部跡。
山本バンカー。

岩がむき出し状態の他の塹壕に比べて、内部は綺麗に壁が作られていた山本バンカー

岩がむき出し状態の他の塹壕に比べて、内部は綺麗に壁が作られていた山本バンカー

アンダーグランドホスピタル。

ここで、怪我人や病人を収容していた。塹壕は、迷路のように何重にもなっていて、電気も無く、独りで入ると迷子になってしまいそうだった

ここで、怪我人や病人を収容していた。塹壕は、迷路のように何重にもなっていて、電気も無く、独りで入ると迷子になってしまいそうだった

潜水艦基地(サブマリンベース)。

外洋に面して作られた潜水艦基地。目の前はドロップオフになっていて、潜水艦を横付けできる天然のドックになっている

外洋に面して作られた潜水艦基地。目の前はドロップオフになっていて、潜水艦を横付けできる天然のドックになっている

こちらも山頂まで何重にも洞窟が彫られていた

こちらも山頂まで何重にも洞窟が彫られていた

大型発動機艇を格納した洞窟。

三隻の大型発動機艇が格納されていた

三隻の大型発動機艇が格納されていた

などなど。

それにしても、南方の島々に残る日本軍の戦跡の多くが、こうした洞窟である場合が多い。
よくこれだけの穴を掘り、そしてこの中で戦っていたなと驚かされる。
果たして、今の自分に真似できるだろうか。

島のいたるところにこうした塹壕が掘られている

島のいたるところにこうした塹壕が掘られている

火山灰をかぶった米軍爆撃機と、ゼロ戦が掘り起こされている場所もあった。
その鉄の残骸は朽ち果て、緑の草が茂り、どこか風の谷のナウシカの腐海の森を連想させた。

ベティボムと呼ばれたB17爆撃機の残骸

ベティボムと呼ばれたB17爆撃機の残骸

ココポには、戦争博物館があり、JICAの隊員が勤務している。日本の戦車の小ささに愕然とする。

この戦車に何人乗っていたのか

この戦車に何人乗っていたのか

10月に、新たに発見された戦没者4名の御遺骨が博物館に保管してあった。
来年の2月にラバウル慰霊団が訪れて、この骨を荼毘に付し、御遺灰を日本に持ち帰るのだそうだ。

70年経った今も、遺骨収集は続けられている。

慰霊碑の丘に登り、短い黙祷を捧げた。

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PROFILE
慶応大学文学部人間関係学科卒業。
産経新聞写真報道局(同紙潜水取材班に所属)を経てフリーのフォトグラファー&ライターに。
以降、南の島や暖かい海などを中心に、自然環境をテーマに取材を続けている。
与那国島の海底遺跡、バハマ・ビミニ島の海に沈むアトランティス・ロード、核実験でビキニ環礁に沈められた戦艦長門、南オーストラリア でのホオジロザメ取材などの水中取材経験もある。
ダイビング経験本数5500本以上。
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