初めて手にしたCカード
プロフェッサー・パパもんの「我潜る。ゆえに我あり。」
先週の一色伸幸さん連載小説『シューボコ』第2話「ケラマのライオン」を
胸キュンの思いで読ませていただいた。
10年ほど前のことになるが、何を隠そう、当時10歳になったばかりで
ジュニア・オープンウォーターの資格取得年齢に達したばかりの息子と一緒に、
パパもんも講習を受けた思い出があるからだ。
もっとも、パパもんの場合は少し事情が特別で、
その時にダイビングを”始めた”わけではない。
ダイビングを始めたのは、それを15年ほどさかのぼる1985年、
モルディブのファルコルフシ島(この島は現在、イタリア人専用のリゾートになったようで
日本からはもはや予約もできなくなっているようだが)にあった「Club Med」だった。
「Club Med」の”売り”は”オール・インクルーシブ”、
つまりどのアクテヴィティに参加しても基本、追加料金が発生しない
(現在では少し事情が変わっているようだが……)という点だ。
当時はまだ大学院生で、貧乏根性が染み付いていたパパもんは
躊躇なく1週間の滞在期間のほぼすべてを
「一番金がかかりそうな、つまり元を取りきる」ダイビングにあてたのである。
もちろんそのずっと前から海は大好きだった。
そうでなければわざわざモルディブには行かないよね。
その後すぐにBCやレギュなどの重器材も購入した
(いずれこの連載でも取り上げたいと思っているけど、
パパもんの初代BCDにはCO2カートリッジという、
リード線を引っ張るだけでBCDを一気に膨らませる「危険きわまりない」仕掛けもついていた)。
でも多くのダイバーがそうなってしまうように、
パパもんもその後数回潜っただけでブランクダイバーの仲間入りをすることになってしまう。
理由はやはり、金も時間もないということにつきるが、
それ以上に「Club Med」のカードは、「Club Med」の中でしか通用しない、
国際的に通用するものではないと教えられていたからだ。
今となってはそれは半分、あるいはそれ以上のウソだったように思う。
というのも、Cカードを発行しているのはどこも”公的機関”ではなく、
その意味で多くのノン・ダイバーさんたちが誤解しているような”免許”など存在せず、
存在するのはある意味で各々の”指導団体”なるものが勝手に発行している認定証にすぎないからだ。
パパもんが「Club Med」から手渡されたのは、たしかにペラペラの、写真も添付されていない、
いかにも権威のかけらもないような青紙だけの「カード」であるが、
それでもCMASのOCCが発行したものである。
よそで通用しないことはなかったと思う。
でもだからといって、この過去を算入すると「ダイバー歴25年以上」の
超ベテラン扱いされかねないから、これは封印する事にしたんだけどね。
息子とともに、今度はPADIのカードを手にすることになったパパもんだが、
それでもその後、そんなに頻繁に潜りに出かけるようになったのではない。
パパもんがダイビング魂に目覚めたのは、
レスキューの講習を受けようと思うようになってからだと記憶している。
それにしても編集長のテラ和尚、たしかまだ独身だったはずだけど、
どうして一色さんの”子と母は「在る」ものだが、父は「成る」ものだ“という言葉
にあんなに敏感に反応してるのかな。
(続く)