南三陸町の海へ 2日目
■南三陸町・歌津へ再び
仙台を出発し、6月にも訪れた南三陸町の歌津エリアへ車を走らせる。
およそ2時間ほどの道のり。
その車中で、震災直後から休みなく活動を続けるかっつんの生々しい話をたくさん聞く。
中でも被災者を狙ったレイプは非道の一言では済まされない。
被災した上にレイプされた被害者の心中や想像を絶する。
礼儀正しい日本人がクローズアップされ、もちろん多くがその通りであろうが、
弱っている人を狙う人間は必ずいる。ネットでのみ報道される事実。
○そのほか、被災直後から現地を見つめ続けたかっつんのブログは→こちら
かっつん、いい意味でちょっとおかしいです(笑)。
こんな熱量の高い30歳、ちょっといない。
※
南三陸町に入り、ガソリンスタンドに立ち寄る。
仙台ではなく南三陸町にお金を落としたい。
「まだまだ、手が足りないのにボランティアが減ってしまっている」と、
屋根もなくレジも野ざらしな、野戦スタンドの店主が嘆く。
忘れ去られることへの危惧をヒシヒシと感じる。
防災センターや老人ホームなど、
メディアでも多く取り上げられて有名な志津川エリアを抜け、歌津エリアに到着。
ここは、道路が寸断されたこともあり、支援が立ち遅れ、
かっつんが支援活動を続けてきたエリア。
津波の瞬間
http://www.youtube.com/watch?v=iwNRrZMBaL4&feature=related
避難所となっていた「泊崎荘」に到着。
前回は、皆、避難所暮らしをしていたが、
今は隣接する仮設住宅に住んでいる人が多い。
「寄っていきなさい」とおばあちゃんに仮設住宅にお招きいただき、
手作りの漬物でもてなしていただいた。
やがて、仮設住宅に人々が集まってきて、いろいろなお話を聞く。
「迷惑がられるのでは?」「偽善的では?」と懸念を抱く人もいるが、
現地の人々は来る人に対してどこまでも優しい。少なくとも僕らが行った場所では。
今でも炊き出しを続けるかっつんいわく、
「ご飯は足りています。でも、今必要なのは”心の炊き出し”。
家に閉じこもっている人たちが外に出てきて、コミュニケーションを取れればいいんです」
※
仮設住宅は作る業者によって格差が存在するらしいが、
ここの仮設住宅は、割りと良い方とのこと。
実際中に入ると、寝室、居間、台所と、広くきれいな印象だが、
元々広い家に住む方々にとっては狭く無機質なのかもしれない。
一色さんは田舎にとって重要な存在である仏壇がないのがまず印象的だと言っていたが、
僕は、ひと際目立つピカピカの地デジ対応の大型テレビが印象に残った。
仮設住宅では、かっつんが持ってきた衣類をお届けする。
お茶を飲んでいると、「玄関の階段が雨で滑って危ないんだ」とおばあちゃん。
早速、かっつんが「では用意しましょう」と決断し、
ホームセンターに行って滑り止めのマットを世帯分購入。
このように、”自分がつながった目に見える人々”に”必要な物をすぐ届ける”ことを
かっつんはずっと続けてきた。
■ダイビングを諦め、気仙沼へ
仮設住宅を訪問した後は、海の中をのぞこうと海況チェックへ。
台風や大雨の影響が残るものの、歌津エリアは半島になっているため、
どこかしら潜れる場所があるだろうとチェックしたものの……。
確実に死にます……。
反対側も、透明度が悪くうねりも残り、この日のダイビングは中止。
そこで、急きょ気仙沼へ。
半年経っても、変わらぬ残骸。津波の跡、火災の跡。
澄んだ空に浮かぶ生まれたての月。
残骸とのコントラストと、自衛隊が作った力強い”道”が、不謹慎だが美しい。
この光景、この気持ちは何だろう。
残骸の側にたたずむ一色さん。
「言葉がない……。そして、何より現実感がない」。
職業的な好奇心で半水面にチャレンジ。透明度が悪くて絵にならない……。
※
この日、そのまま泊崎荘に泊まることにして、
夜は、避難所で知り合い、仲良くなったという現地の方々とカラオケ。
とても楽しく、彼らの一体感が羨ましくもあったが、
“本当のところ”は僕には到底わからない。ただ、楽しいことはいいことだ。
飲みすぎて吐きもしたが、いい気分で就寝。明日は潜れるだろうか。
【おまけ】
泊崎荘の美人若おかみであり、パティシエでもあるクリちゃんが作るロールケーキが絶品。
通販でも買えるうえ、被災地支援のもなるの、ぜひ通販でご購入を。
http://www.tsunagari-project.com/rollcake.html