ダイビングの敷居の高さ @至言シリーズ
遊びってさ、友達や先輩とかに教えてもらいたいよね。
■デューク山中(安良里ダイビングセンター)
友人、知人、親族によく言われることがある。
「今度、ダイビング教えてよ」
一応インストラクターの資格を持つ僕ですら、少し間を置いてしまう。
友達だから、安く、気軽に、海の中に連れていってあげたい。
でも、ダイビングを取り巻く環境がそれほど気軽じゃーない。
プールと海を予約して、やっぱり4日間くらいはみっちり時間をかけて……、
もし事故った時はどうなってこうなって……。
Cカード発行した後のことを考えるとお店紹介しちゃおうかな〜、
料金も安くしてあげたいけど、こんなにしちゃうかー。う〜ん。
さらに、これがイントラではないダイバーだったらどうだろうか?
もうかれこれ15年以上潜っているまこ社長もよく友人に
「ダイビング教えてよ」と言われることがあるそうだ。
しかし、レスキューダイバーの彼がダイビングを教えることは、環境的にハードルが高い。
まず、プール予約ひとつできないだろう。
まこ社長は、申し訳ない気持ちと情けない気持ちでショップを紹介するほかない。
しかも、確実に何万円もの費用がかかることがわかっていて、
商売としてはわかるけど、友人としては心に抵抗があるのだ。
これがスノボーだったら、サーフィンだったら?
「先輩、今度、サーフィンつれていってくださいっす!」
「おー、いーよ。とりあえず俺のボード貸すからよ」
「おめー、もっとエッジきかせてこうやって飛ぶんだよ」
「難しいっす。でも楽しいっす」
気心しれた人から教わる遊びほど楽しいものはない。
ダイビングはもっと特殊な環境だから、そうはいかない。安全が一番大事。
確かにその通りだとも思う。でも、
15年やっている遊びを友達に教えられないって変じゃない?
気軽にそこらの海で、仲間うちで潜れないって変じゃない?
ダイビングってタンク背負って泳ぐだけなのに、いろいろ面倒くさくね?
この感覚はとても普通で、普通の感覚を大事にできないとその業界は終わる。
普通の感覚を大事にしつつ、こっちが大事だと思うことを伝えるのはこちらの腕、
というより、ここを伝えないのも逆にマズイいことのひとつだが、入口から普通の感覚を排除してどうするのだろう。
友人は「なんか、ダイビングやってみたいなー。そういえばテラやってたな」
「ちょっと教えてよ」と自然に聞いているだけであり、
そこで「ダイビングは危険なのです。リスクは全部自分ですよ!」
「しっかり自分の器材をそろえるべきです。10万なり!」
と言ってどうなる。すべては伝え方だと思う。
そういう意味では、フリーのイントラが業界の癌だという人もいるが、
フリーのイントラが仲間にタダみたいな値段でダイビングを教えちゃうのは、
最も自然な形とも言えなくもない。困るのはそれで飯食っているお店だけで、
ダイバーは何ら困らないし、一番楽しい方法かもしれない。
いや、むしろ、ひょっとしたらそれがビジネスチャンスにつながる気もする。
また、ひと昔前はスタンダードだった、ダイビングクラブなんかも、
今となってはむしろ理想的にも見える。
サロン的な街のダイビングクラブってのもあっていいし、
SNS上でその盛り上がりが一瞬あったが、SNSのデメリットが出て尻すぼみ感もある。
以上は極論かもしれない。しかし、デュークの言葉は、
「安全を錦の御旗にして、まやかしがあるのではないか?」
「なんか、もっと気楽に潜って遊びたいよね?」を考えさせられる、けだし至言だと思うのだ。
デュークと和尚