ボラれたってよくないかい?
そろそろパラオの小ネタでも書こうと思い、
パラオの良いところってのを考えていてふと思ったのが、
パラオは“ボラれない”こと。
タクシーに乗ってもいつも同じ料金だし、
お土産屋に行ってもボラれる感じはない。
まあ、自分の体験だからホントのところはどうなのかわからないが、
長年パラオに住むガイドさんも同じようなことを言う。
読者やダイバーにはボラれるかどうかってのは良く聞かれるが、
パラオに関しては安心な印象。
しかし、他の国ではよくボラれたという話を聞くこともよくあるのだが、
ボラれるのってそんなに嫌なことなのだろうか?
そりゃ、明らかな適正価格以上の値段だったり、
偽ブランドをつかまされたり、タクシーや風俗店で、
後から多額の料金を請求されたりってことを警戒するのは理解できる。
しかし、お土産屋でよく見かける日本人の態度に、いかがなもんかと思うことがよくある。
値札の値段は、ディスカウントされることが前提の値段なので、
とりあえずはディスカウントはする。
払うことが織り込み済みのチップと同じようなもんで、
そういう文化なのだから従うのみ。
個人的には、そこでディスカウントされた値段を見て、
自分の払える範囲で納得できればそれでいいと思う。
コミュニケーションやジョークの範囲で、
「もっとまけてよ〜」という遊びはもちろんありだが、
相手が困るほどシビアに交渉する人がいる。相手の妥協ラインを明らかに超えて。
これがさっぱり理解できない。
さらに、同じ商品を違う人が安く買っているのを後で知って、
店に戻って「あの人は●●㌦だったのに」とまけてもうらう人もいる。
信じられないが結構いる。これルール違反じゃないのかな。
そういう人たちはお金に困っているわけではなさそうなので、
どういう心持ちなのか考えてみると、
“負けたくない”とか“騙されたら悔しい”という感じなんだと思う。
人より高く買ってしまったらバカにされている気がして、
人より安く買えたら賢いと思うのだろう。
購入後は決まって、“自分はこれだけ安く買えたアピール”が始まる。
現地の人は単純に“より高く売りたい”だけなのに。お金が欲しいだけ。
うまく言えないが土俵が違うっていうか。
具体的に言えば、寿司屋さんが築地で必死に値切るのは理解できる。
だって、同じ土俵だもん。
でも、例えばセブに行って、Tシャツ1500円だったのをディスカウントしたら1000円になったのに、さらに粘りに粘って800円にすることの意味がさっぱりわからない。その差額200円にとても価値を感じるなら別に問題ないけど。
僕は、現地でよく変なお面とか花瓶とか絵とかを買うのだが、
周りから「ボラれてるよ、それ」とか「似たようなのを〜でもっと安く見たことある」というようなことを言われると嫌な気分になる。
それはボラれたかどうかというより、
自分が気にいった変なお面のことを見てくれていないことと、
俺が納得しているんだから放っておいてくれという気分。
ダイビング器材が量販店で20万なのが、
ショップで100万ってのは問題ありだが、これとはやっぱり話が違う。
器材問題には、なんていうか“暗黙の了解”というような
含みというかニュアンスというような余地がなく、
“THE・騙し”みたいなことだから。
ってことで、適正価格を知る事は大事かもしれないが、
お土産ぐらいは“自分がその値段に対していくらまでOKか”を基準にしてもいいと思うのだ。
関西の人には、甘ちゃんと怒られそうだが(笑)