ダイビングにハマる漁師たち ~三陸ボランティアダイバーズと漁師の絆で生まれたもの~
2016年3月10日。
三陸ボランティアダイバーズ代表、くまちゃん(佐藤寛志)の水中瓦礫撤去作業についていく。
水深20mの水底に到着すると、慣れた手つきで、堆積した土砂から顔を出す、瓦礫の一部にロープを結び、水底からそぎ取るように掘り起こしていく。
ロープを引っ張り、合図をすると、船上の漁師たちが、やはり慣れた手つきでウインチを使って瓦礫を引き上げる。
何度も繰り返してきたであろうその作業は、もはやルーティンと言ってよいほど。
実際、そんな水中での瓦礫撤去作業が、5年経った今でも変わらぬ、くまちゃんの日常だ。
水中での瓦礫撤去は、今でも週3、4回ペースで続いている。
くまちゃん
まだまだ瓦礫はあります。1月の低気圧で海がかき混ぜられて、潜ってみると、新たな瓦礫が出てきました。瓦礫撤去に関しては、なかなか終わりは見せません。
水面からロープを垂らすはえ縄式の養殖では、海中の瓦礫が養殖の妨げになることがある。
漁を守るため、海を守るため、これからもボランティアダイバーと共に、瓦礫撤去は続いていく。
※5~11月はボランティアダイバー募集。ただし、撤去作業のボランティアダイバーは、自立したダイバーであることが必須(要問合せ)。
終わりの見えない瓦礫撤去作業の話を聞くと、「まだまだ復興は見えない」と思われるかもしれないが、くまちゃんにも漁師たちにも悲壮感はない。
海の中でも、瓦礫撤去の合間に寄って来たくまちゃんが、砂地に何かを書き始める。
それが、「タ・ラ」と理解できたところでうなずきながらOKサインを出すと、「あっちあっち」と指さして破顔する。
(残念ながらタラはいなくなっていたけど)。
一緒に潜って、瓦礫撤去をしていた漁師たちも、船上でも水中でも何だか楽しそうだ。
パチンコをやめてダイビングが趣味になった漁師
震災で失ったものはとてつもなく大きいが、新しくできた絆もある。
その結実のひとつが、具体的には、漁師ダイバーの誕生で、今回の取材で一番印象に残った。
三ボラでは、世界各国・全国各地のダイバーの力を借りての復興作業の次は、地元と協力のもと、自分たちでできる復興作業を目指している。
そのひとつが、地元漁師にダイビングを教えることだ。
果たして、それが理想的な形で実現しているのは、港に着いた瞬間にわかった。
軽トラの運転席で手元をじっと見ている漁師の佐々木淳さん。
初対面だったので、挨拶をしようと近づくと、なんとログブックを付けている。
いや、ダイバーなら当たり前だが、漁師とログブックの組み合わせが意外というか(笑)。
2015年の9月にCカードを取得した淳さんと、少し前の6月に取得した澤田保さんの2人の漁師に話を聞くと、何だかこちらまで嬉しくなるほどダイビングにハマっている。
淳さん
今まで船の上からしか海を見てこなかったけど、中に入ってみたら全然違う世界だった。自分の作った生産物を水中で実際に見られる幸せはない。また、生産物の状態や水温など、海中の様子を漁師仲間に伝えられるから仕事にも役立っている。
保さん
体験ダイビング一発でハマってしまった。子供のころ泳いだり素潜りしたりはあったけど、海の中で息ができて、ずっといられるんだもの。それに、船上から海の中をのぞき込むことはあっても、海の中から船を見上げることはない。目の前に魚がいるのもおもしろくて。
魚の知識が豊富なので、フィッシュウオッチングを楽しむ視点も多い。
淳さん
ほら、釣りをやるとき、リュウグウハゼをエサにしてアイナメを釣ったりするんだけど、海の中でリュウグウハゼを見ていると、その横をアイナメが通り過ぎていくんだ。あれ? 食べないのか!? リュウグウハゼも慌ててないな~、なんて思って見ていたり、おもしろいことばっかり。
今はとにかく潜りたくて仕方ないという2人は、ダイビングをやってみて初めて気が付いたこともあるという。
淳さん
ダイビングを始めてからは、タバコのポイ捨てはしないようになり、必ず携帯用灰皿を持っていくようになった。良いとか悪いとかじゃなく、漁師はそういう感覚があまりないけど、ダイビングをしたら、講習でも教わるし、急に環境が気になり始めてしまった(笑)
保さん
今はとにかくいろんなところを潜りたい。潜れるところならどこでも。こんなにおもしろいことがあると知ってからは、パチンコも行かなくなったし、車もいじらなくなった。
そもそもCカードを取るきっかけは、三ボラの提案だが、本人たちとしてもずっと潜りたい思いがあったという。
淳さん
震災後、ありがたいことに全国からたくさんのダイバーが集まってくれた。でも、待っているだけというのが嫌で、自分たちも潜れることが理想だなと思っていた。実際に潜ったら瓦礫撤去だけでなく、単純に遊びとしてハマってしまったけど(笑)。ずっとダイバーの人と一緒に活動して、実際、自分がダイビングをしてみたら、ダイビングは世界中とつながれるし、すごい力を持っていると実感した。
漁師がダイビングを知るきっかけとなる一方で、ダイバーが漁師を通じて、漁や文化に興味を持つようにもなったという。
こうした、ある種の異文化交流が起き、交流人口が増えることにより、将来的には移住者が増え、漁の担い手が育つことが、サンボラの目指すダイビングの社会貢献の形のひとつだろう。
絆が形となったログハウス「恋し浜ホタテデッキ」
三陸鉄道南リアス線「恋し浜駅」。
ホタテ貝の絵馬掛けや幸せの鐘など、愛にまつわる駅として人気だ。
電車を降りて、高台にある駅のホームから海を望むと、広い視界の下の方に気になる建物が目に入る。
「恋し浜ホタテデッキ」
ダイバーと漁師の交流によって生まれた象徴だ。
海を臨むログハウスのウッドデッキには大漁旗がはためき、周りにはホタテの貝殻が敷き詰められている。
可愛い。
ホタテの養殖で有名な小石浜(だから、恋し浜)の漁師と三ボラの震災後の絆が作った、新たな交流の拠点。
お土産がそろい、名前の通り、漁師の協力のもと、新鮮なホタテをリーズナブルに提供してくれる(都会で食べるホタテとはほとんど別物)。
また、月に一度、自然教室も開催しており、ダイバー以外でも交流や学びの場となっている。
ニューボートポイントがGWにオープン!
ゴールデンウイーク中には、岩手県・越喜来湾(おきらいわん)にボートポイントもオープンする。
漁の盛んな海でのダイビングポイントオープンは、漁師の理解がないとあり得ないこと。
これも漁師とダイバーの絆の証だろう。
ダンゴウオやフサギンポ、カジカなど、北の生物が待っている。
ダイビングを通じて社会貢献したい
新しい漁師との関係でいろいろなことを実現している三ボラの活動だが、さて、ゴールはどこにあるのだろう?
くまちゃん
私たちの活動は段階的に考えています。当初の世界・全国のダイバーの皆さんの力を借りる段階から、徐々に自立した活動ができるようになってきました。それは、ひいては、その経験を活かして、今度は私たちが他でも活動できることを意味するし、意識して活動しています。そして、災害復興から社会貢献に移行していきたい。ハード面だけでなく、交流人口を増やし、漁師になりたい人が増えたり、海から離れていた人が海に戻るきっかけとなったり、ダイビングを通じた社会貢献がしていきたいと思っています。
そして、今日は、あの日からちょうど5年の3月11日。
前日、「3月11日は何かするの?」とくまちゃんにたずねると、「いえ、普通に潜りにいくだけですよ」。
3月11日前後は多くのマスメディアが東北に集結し、企画・セレモニーが行われるが、「形だけでなく、ダイバーとしては普通に潜ることが追悼だと思っています」というのがくまちゃんのスタンス。
昨日と変わらぬ淡々とした瓦礫撤去で迎える3月11日。
その姿からは、「これがずっと続く自分の日常。続けていくことが本質なんだ」という意地のようなものを感じた。
佐藤寛志(愛称:くまちゃん)
東日本大震災直後、代表をつとめるNPO法人 三陸ボランティアダイバーズを立ち上げ、海底清掃、漁業再開支援、子供達への復興教育等を行なっている。震災後の海へ潜り続け、海が再生していく姿、人々の復興へ向けた活動の記録も続け、テレビや新聞等、様々なメディアを通して現在の三陸の姿を伝えている。マーシャルやタイなど、海外でのガイド経験も豊富だが、現在は、地元・岩手県を中心に東北を潜る「ダイビングショップみちのくダイビング RIAS」オーナー。
2016年。3.11東日本大震災から5年の海から(連載トップページへ)
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