ダイビング死亡事故に見る、法的情報が貧しいことの危険性
現場のプロにとってのダイビングビジネスで重要なことは、ダイビングビジネスの従事期間を通じての生涯収益の黒字化でしょう。
事業を行うためには、必ず必要ないくつもの投資事案があります。
その中で一般的に軽視されやすいのが、法的情報への投資です。
重大な事故を一度起こしてしまうと、ダイビングビジネスでの生涯通算黒字化はまず困難な状況となります。
もちろん保険でカバーできるかもしれませんが、それは事故を起こしていない仲間のプロたちの保険料の上昇をもたらす可能性があります。
また事故事例が累積することで、プロが事業用の融資を受けようとしても、ダイビングビジネスそのものへの信用度が下がることでそれを断られたり、あるいは利率が高く設定される事態をもたらすかも知れません。
さらに法的情報の貧困さは、ときに、一瞬にして自分のダイビングビジネスを破滅に向かわせます。
では、法的情報の貧困ラインはどこにあるのでしょうか。
それは、自分の知識と意識のレベルが、従来の方式でのインストラクターになるための講習レベルや業界側に味方する方たちによる勉強会レベルに留まっている場合は、その少し上にあると思ってください。
水面を境とすれば、ほんの少しだけの水中と、ほんの少しだけの空気中の差のようなものです。
ただ物理的距離はほんの少しだけですが、その間にある境の上下で世界はまるで異なっています。
では、少しだけ法的情報の貧困ライン以下だったことで、人間としては善良だったインストラクターたちの人生が狂ってしまった実際の事例からお話しします。
なお、遺族の想像を絶する悲しみの深さについては、ここではあえて深く触れることはいたしません。
ご理解をお願いいたします。
ダイビング事故の事例
洞窟ダイビング死亡事故(事件)
スポーツクラブに所属する二人の若い女性ダイビングインストラクターがいました。
彼女たちは、スポーツグラブが募集したファンダイビング客をガイドすることになりました。
スポーツクラブが募集したファンダイビングの引率予定場所は、二人にとって初めての場所でした。
二人は準備のために下見のダイビングに行きました。
その結果、現地に詳しいガイドを雇ってほしいとスポーツクラブの社長に要請しました。
しかし社長は、経費が増えるからとそれを断り、二人だけで五人の客の引率を命じました。
二人はこの命令を受け入れました(★)。
※★は今回のインストラクターたちによる法的義務に反する判断や行為を意味するマークのことです。
二人は洞窟ダイビングの初心者を交えた五人を引率してダイビングを始めました。
しかし、暗いところを案内するにもかかわらず、客には水中ライトは持たせませんでした(★)。
また、この洞窟ダイビングで選んだポイントは、最高裁の判断によるダイビングの安全基準(=プロの注意義務とされている)を満たすものではありませんでした(★)。
それにもかかわらず、洞窟ダイビングの法的義務のガイドに沿うような準備をすることもしませんでした(★)。
二人は五人を引率して水中洞窟に入りましたが、出てきたときになって、一人足りなくなっているのに気づきました(★)。
待っていても不明者が現れないので、やがて一人のインストラクターが客たちを浮上させました。
もう一人は洞窟に入り、不明の一人を探しましたが見つかりませんでした(★)。
不明のダイバーは、この後、捜索に協力した地元のダイバーによって、インストラクターが探しても見つけられなかった洞窟の中で溺死した状態で発見されました。
その洞窟は、一本道の構造で、その経路も広すぎることはなく、奥まで行けば突き当たるような形状でした。
奥には、ほんの少しだけ外の水中から光が入る裂け目はありましたが、それは微々たるものでした。
水中ライトを持っていながらも、この洞窟の経験がこれまでなかったインストラクターでは事故者のダイバーを発見できなかった程度の光です。
溺死者として発見されたダイバーには、なんとか暗い洞窟から逃れそうと、エア切れとなってからも最後の瞬間まで必死だった様子が見られました。
洞窟に探しに入ったインストラクターは、引率していたそのダイバーが生きていた時とそのダイバーが溺死した時の、二度に渡って同じ場所で見失っていたとも言えるかもしれません。
インストラクター二人は業務上過失致死罪で有罪となりましたが、スポーツクラブの社長は刑事罰を免れました。
きちんとした情報をダイバーやインストラクターに与えていなかった疑いがあったので、関係した「指導団体」の背景も調べられました。
しかし責任は問われませんでした。
この事件の捜査の後、「どこが本当に悪いのかは分かっているが、法律がないのでどうしようもない」と、捜査にあたった関係者は唇を噛んでいました。
民事裁判では、遺族から「指導団体」と、インストラクター及び社長に対する損害賠償訴訟が提起されましたが、「指導団体」訴訟では遺族が負け、インストラクター及び社長に対しては和解となりました。
このため、この事故の経緯は社会に裁判記録として残ることもありませんでした。
インストラクターの二人はその後プロダイバーを廃業し、帰郷したとのことです。
スポーツクラブは、その後もそれ以前と同様に営業を続けました。
この事故の背景にある問題点
(ア)インストラクター側
(1.~5.は法的責任が問われる可能性が高いポイント)
1.初めての場所で安全性を確保して水中洞窟ダイビングをガイドするためには、現場に詳しい地元のプロを雇う必要があるのにもかかわらず、何としても社長を説得するということをしなかった。また地元のプロを雇わないような危険なガイドは行わないという申し入れも行わなかった。
2.目的とした洞窟は、最高裁の示した安全基準を満たす準備のないところだったにもかかわらず、安全性が低いままそこでのダイビングを実行し、かつそれにもかかわらずダイバー個々の監視を徹底しなかった。
3.洞窟ダイビングをする客に対して水中ライトを持たせることをしなかった。持っていたのは自分たちだけだった。もちろん、洞窟の中で溺死したダイバーも持っていなかった。
4.客相互に補助しあえるようなバディシステムが確実に実行されるような監督をしていなかった。溺死者のバディだった者は、不明者がいついなくなったか知らなかった。
5.洞窟に戻って不明となった客のダイバーを探したインストラクターは、洞窟の中で溺水していた事故者を見つけられなかった。
6.自分たちがインストラクターとして何が足りないのかと気づく努力をしないままプロ活動を行っていた。つまり業務上採るべき法的リスクマネジメントの意識と知識の欠如があった。
7.事故後は、二人は自分たちの至らなさを深く受け止めて真摯に遺族に対応したことで、遺族から恨まれるという事態にはならなかった。しかし自らの経験(法的責任の認識不足=法的情報の貧困から起きた事態)を広くプロの現場に知らせて今後の事故防止の教訓とすることはなかった。
(イ)スポーツクラブの社長側
1.インストラクターの下見後の要請を断った。これは客の安全と利益を比べ、利益をとったものと推測された。
2.客の危険率を下げるための器材の貸し出し(水中ライト)を指示することもなかった。
3.雇っているインストラクターたちに、ガイドの責任について、十分な研修(事故の事例研究と法的責任に関する研修)を重ねていた形跡は見られなかった。
(ウ)二人をインストラクターと認定した側
1.インストラクターと認定する過程で、ダイビングの事故事例と法的責任について正しく十分な教育を行っていた形跡は見られなかった。
2.ガイドダイビングの際には、バディシステムを確実に有効とするための努力を惜しんではならないということを厳格に教えた形跡はなかった(形式上で終わっていたのではないか)。
3.インストラクター資格を不十分な役務遂行品質・能力のまま、あたかもそれが十分かのように誤認させて資格を販売し、溺死したダイバーに対しても十分な安全確保講習を行わなかったにもかかわらず、十分としてダイバーと認定した認定責任を法廷で問われた「指導団体」の長は、賠償責任を逃れる判決(個人的感想にすぎないが、判決文を読むと、裁判官の判断の理由が、国会での審議を経てできた法律と法的罰則が明確となっている医師や弁護士の資格と、民間の自由な意思の下、営利目的で販売されているダイビングの資格を同列に論じており、実に不自然な感じがした)を勝ち取った後、遺族の職場に対して嫌がらせをしばらく行っていた。
(エ)被告側に関係した側からの、インストラクター保護のための助言について
1.助言ができるはず、あるいは助言ができる者を紹介できる立場の側から、インストラクターたちに不当な指示が与えられたことで生じた結果(責任の集中)に対して法的責任を問えるかもしれない可能性を検討する機会についての情報を与えた形跡は見られなかった。
2.同じく、不十分な技量のままにインストラクターと認定されるような、さらに法的責任問題についての知見の重大部分を欠如したままプロ認定されるという、インストラクター養成講座カリキュラムの欠陥に対する責任を問う可能性について検討する機会についての情報をインストラクターたちに与えた形跡は見られなかった。
→欠陥教育の結果をインストラクターだけに負わせることで、誰かの責任が見えないようになっていることへの異議申し立ての権利(結果はどうあれ、意義を申し立てる権利はある)を知らせなかったままで、この事故(事件)の法的問題は収束した。
犠牲者の問題
1.洞窟ダイビングをするのに、ダイバー各自に水中ライトすら持たせないという潜水計画の異常さ(最悪致死的結果となることが予想される手抜き)に気づいて、その潜水計画を拒否しなかった。
2.水中ライトがないままで洞窟に入る指示を受けた際、現場でそれを拒否することをしなかった。
→しかし事故者のダイバーが、客の側からプロの品質や人命がかかわる業務の品質を判断する知見を持っていなかったことには同情の余地が多く見られた。
なぜなら、一般ダイバーとして、ダイビングのリスク情報に十分に触れる機会が、事故者には特に、そして一般のダイビング講習やレベルアップ教育、雑誌やネットなどのダイビングメディアと一般メディアからも提供されていなかったからである。またその情報を貪欲に収集するようにとの指導も、事故者が受けた講習ではなされていなかったのである。
ここには、一般ダイバーの立場として、情報格差の不利な側に置かれた者のリスクが見られる。
筆者の個人的感想
死亡したダイバーは、どん詰まりとなっていた洞窟の奥で発見されました。
その最後の様子をご遺体の状況から想像すると、最後の瞬間まで、必死になって戻るための出口を探していたようでした。
この洞窟は、奥に行く経路が一本しかなく、つまり戻る方向も一本道だったことから、帰り道は水中ライトさえあれば簡単に見つけられたのです。
また水中ライトをもったインストラクターが、この(ベテランではなかった)ダイバーへの常時監視義務を履行していたら、これも事故にならずにすんだ状況でした。
一般ダイバーが事実上真っ暗な洞窟状の環境の中では上下感覚を失いやすいことは、こういった経験のある作業ダイバーも明言しています。
そんな真っ暗で不安な中で、いつまで探してもどこが出口の方向なのか分からずに焦っている中で、突然レギュレーターからの空気の供給が止まった時はどんな気持ちだったでしょう。
光さえあれば、あるいは常時監視・監督しながら引率するガイドさえそばにいれば、このダイバーは何ごともなく洞窟から出られたのです。
こういった簡単な状況だったはずのダイバーの人生を取り返しのつかない残酷な結果へと変えたのは、下見以後のサービス(役務)そのものの安全品質管理の欠陥と、法的リスク(欠陥がもたらす法的責任=業者の自己責任=業者の事業者責任)の軽視でした。
そしてこの欠陥が生じた背景の一つには、そもそもインストラクターの養成講座における安全対策(技術と法的リスクの理解)情報の適切な提供がなされていなかったことが挙げられます。
ただ、正しい情報の提供を十分に行うと、養成講座を販売する側にとって、何を知らせないことが利益の最大化に貢献しているのかの一つが知られてしまう危険性があるようです。
あくまで想像なのですが…。
法的義務の情報や法的リスクの情報を十分に持つものと持たざる者の格差は、結果的に情報の貧困者を生み、その結果の責任を貧困者に加重に負わせることに結びついていきます。
事故が起きると、不利な立場のまま指示に従わざるを得なかった現場のインストラクターが全体の責任を集中して負わされていく傾向(あくまで現時点での個人的見解)はその典型例です。
もう一つ、客となったダイバーが、欠陥潜水計画によるファンダイビングの提供品質の危険さを見抜くだけの情報を持つに至らないままダイバーと認定されていたことも残念なことです。
そしてそういった、本質的なリスク情報を常時徹底して開示してこなかった各種のメディアの姿勢なども、この事故をもたらした背景の重要な要素のように感じます。
そのときのダイビングがどんなにつまらなかったと感じても、ダイビングの後に日常に戻れれば、レクリエーションとしてのダイビング行為は成功なのです。
日常にさえ戻れたら次の未来を迎えることができるのです。
これこそが、ダイビングにおける本質的な成功なのです。
楽しかったか否かは、日常に戻れたという成功が楽しい成功だったか、楽しくない成功だったかの問題にすぎません。
客の安全品質管理義務履行の努力より、人間の、目先の僅かな経費削減=利益獲得への欲求から生じたダイバーの死亡という現実と、それによって日常が破壊された遺族たちの存在、そして不適切な教育によってインストラクターと認定された上に、業務上の弱い立場で指示に従ったことで起きた事故で廃業せざるをえなくなり、自分たちの未来が変わってしまったインストラクターたちと比べ、保険でカバーできる軽微な責任で済んだ、実は事故の真の原因となった関係者が容易に日常に戻り、インストラクターたちに十分な教育と知識を与えずにプロ活動をはじめとするダイビング活動をさせていたことでの結果を問うた遺族への逆恨みを遺族の職場に対して行った、世界的な教育機関を自負する組織の責任者も日常に戻れたという状況は、健全な社会という観点を好ましいものとする立場で見れば、また何を健全とするかはそれぞれの立場で異なるでしょうが、今回は何か違うのではないかと思わざるを得ません。
何が法的責任として自分の行為の結果にかかってくるのかの知識がないままにプロの現場で活動している、つまり法的情報の貧困者としてのインストラクターという立場では、情報貧困者を脱する自己変革の情熱をもって情報への投資をしない限り、その結果として悲惨な状況に陥る可能性が高い傾向から逃れることは甚だ困難となりそうです。
情報貧困者を、その貧困の結果から守ってくれるような組織や制度は、現状ではまだありません。
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