海洋写真家・峯水亮はなぜプランクトンを撮るようになったのか
ダイビングのメッカ・大瀬崎のガイドを経て、海洋写真家となった峯水亮さん。
インタビュー前編では、峯水さんのガイド時代のお話を中心にうかがいました。
今回のインタビュー後編では、「なぜ今、浮遊系なのか?」というお話をうかがいました。
■聞き手/寺山英樹
―――
ダイビングを始めた時の「海の面白さ、生き物の命の素晴らしさを伝える」という思いは、カメラマンになっても変わらず、書籍という形で実現したのですね。
今後もいわゆる“マクロ撮影”にこだわった撮影をしていくのでしょうか?
マクロ撮影にこだわるのは、ダイビングを始めた大瀬崎というフィールドにも関係するのでしょうか?
峯水
いや、それがですね、27歳からカメラマンとしてスタートした私は、実は、いつかはクジラやシャチなどの海の生態系の頂点にいる生き物たちを撮影することへの憧れがありました。
きっと誰もが一度はそう思うことでしょう。
しかし、彼らを撮影することにカメラマンとして駆け出した私には敷居が高かったのです。
金銭的なことはもちろんでしたが、私がいた大瀬崎では彼らのような大型の生き物に日常的に出会うチャンスには恵まれず、クジラのことなどはほぼ何も知らないに等しい状態でした。
このオーシャナの代表である、越智隆治カメラマンの写真にはかなり影響を受けて、私が突然撮影に行っても越智さんのようには彼らの魅力を伝えることはできないだろうとも思いました。
それでも、仕事の中でグレートバリアリーフでのミンククジラの撮影をする機会があり、彼らの魅力を少しだけ知って、やはりさらにもっと海のことを詳しく知らなければいけないと思うようになりました。
初著書である「海の甲殻類」の次に発刊する本の候補として、98年からクラゲや浮遊生物の撮影に取り組んできたのですが、クラゲのようなプランクトン(浮遊生物)はクジラやシャチとは全く正反対な海の生態系ピラミッドの底辺にあたります。
つまりプランクトンがいなければそれを食べる魚たちも生まれず、魚たちを食べるクジラ、そしてクジラやアシカなどを食べるシャチも生まれてきません。
私は浮遊生物を詳しく知った上で、いつか海の生態系の頂点である生き物たちの撮影にも挑んでみようと思うようになったのです。
―――
そうだったんですね!すみません、あまり大物のイメージがなかったので、勝手に峯水さんといえばマクロ!みたいなイメージがありました。
それにしても、生態ピラミッドの頂点を撮るために、底辺をよく知りたいというはおもしろい視点ですね~。では、今テーマにしている浮遊系は、“過程”といった位置づけなんでしょうか?
峯水
いやいや、大物という目的もありますが、まあ、今は、どちらかと言えば、その浮遊系の世界のほうにどっぷりとはまって、彼らの魅力から抜け出せないでいます(笑)。
―――
その魅力は何でしょうか?
峯水
クラゲなどの浮遊生物は、波にもまれるとすぐに壊れてしまうほど、一見とてもか弱い生き物のようにも見えます。
しかし、彼らの多彩な姿や生きざまには、たくましい命が見え隠れしているのです。
プランクトンの撮影を始めた当初、私は後で調べる目的でクラゲをペットボトルで捕まえたことがありました。
うっかりそのペットボトルの存在を忘れてしまい、半年ほど後になって、ダイビング器材を収納していた箱の中からそのペットボトルを再発見したのです。
私は最初、それがいつのもので何が入っていたのかわかりませんでした。
何気なくそのペットボトルを確認してみると、内側にはびっしりとヒドロ虫(ヒドロクラゲを発生させるステージ)が成長していたのです。
私は今でもそれが何クラゲのものだったのか、密閉された容器の中でどうやって餌を得ていたのか判らないのですが、その小さな生き物の驚くべき生命力に強い衝撃を受けました。
きっと人間が滅びるような時代が来たとしても、彼らは海水さえあれば生きていけるのではないだろうかと思いました。
―――
最後に、峯水さんにはこれからオーシャナで連載をしていただきますが、どんなことを伝えていきたいのでしょうか?
峯水
やはり、ダイビングを始めた時の「海の面白さ、生き物の命の素晴らしさを伝える」というのは変わらずいつも根底にあります。
オーシャナの連載では、まずは、今ハマっている浮遊生物たちの魅力や、彼らの巧みな生きざま、人間が考えている以上に驚くほど強い生命力から、自然の中で人間がどのようにあるべきかについても触れていきたいと思います。
―――
峯水さん、ありがとうござまいました。楽しい連載を期待しています。