父・須賀次郎
こんにちは。須賀潮美です。
1月も第2週に入りお正月気分も抜け、皆さんも本格始動したことと思います。
本年もよろしくお願いします。
私も現在『月刊ダイバー』(http://diver-web.jp)で連載中の
父・須賀次郎の「ニッポン潜水グラフィティ」の校正&編集を終えたところです。
現在発売中の2月号では葉山の素潜り修業を、
4回目の次号(2月10日売り・3月号)は、
1956年に奄美大島で初めてスクーバダイビングをした時の話です。
ぜひ、ご覧になってください。
父は、日本のダイビングの草分け的存在です。
子供の頃から海にあこがれ、東京水産大学に入学。
大学在学中に、おそらく日本初のダイビング講習を大学の実習で受け、
以後50年以上、潜り続けています。
ダイバー誌の連載は2年間の予定。
今月、77歳(喜寿というらしい)を迎えた父は、連載を終える頃には80歳目前。末永く、健康、健筆、健潜でいて欲しいものです。
「ニッポン潜水グラフィティ」は、ダイビングの黎明期、
1950年代〜1970年代まで、
まだダイビングがごく一部の人たちの冒険だった時代の話が中心です。
これまで3回分の連載原稿を読むだけで、
1980年代からダイビングを始めた私でも
「そんなことがあったのか!」と驚くようなエピソードが目白押し。
私が生まれていない頃から、小学校の低学年として過ごした時期に
父がどんなダイビングをしていたのか、娘である私も初めて知ることばかりです。
連載では後々出てくると思いますが、父は私がまだ生まれたばかりの頃、
自分の開発したダイビング器材を使い、空気で100m潜水に挑戦しています。
生きて帰れるかどうかも分からない冒険を、赤ん坊がいる身でしているのですから、
ある意味とんでもない父です。
けれども、大学でダイビングを覚えた私にTVの水中リポーターとなるチャンスを、
当時水中撮影を手がけていた父が引き合わせてくれました。
その引き合わせがなければ、
今私がダイビングを続けていることはなかったかもしれません。
現役で潜り続け、福島原発事故に心を痛め「俺が潜らなくてどうする!」と
真冬の福島で潜水調査を続ける父。
「かなわないなぁ」と思いつつ「あんまり調子に乗るな!」と
釘を刺すことも忘れない、食えない娘なのでした。
昨年11月、父が情熱を傾けるJAUSのプライマリーコースをダイバー誌で取材し、
久しぶり(たぶん3〜4年ぶり)に一緒に潜りました。
プライマリーコースで紹介された先進的なテクニックは、
現在発売中の2月号と3月号に掲載されますので、こちらも合わせてご覧ください。
■JAUS(日本水中科学協会)http://www.jaus.jp/
(撮影/鍵井靖章)