水中作業のエキスパート「潜水士」。透視度30cm、その知られざる作業内容に迫る
“海に潜る仕事”と言われて何を浮かべるだろうか。きっとダイビングガイドや海上保安庁はすぐに思い浮かぶかもしれない。しかし、海に潜る仕事はそれだけではない。たとえば、水中にある通信ケーブルの補修や水中での橋の耐震調査、沈船の引き上げなど多岐に渡る。今回は表立つ機会がほとんどないが私たちの生活に欠かせない仕事を担う、知られざる「潜水士」の仕事について、水中作業のプロフェッショナル集団である株式会社MMSの代表・黒葛原正之氏(以下黒葛原氏)にお話を伺った。
水中で作業するには国家資格が必要。「潜水士」とは
冒頭でお伝えしたような水中での作業を行うには国家資格である「潜水士免許」を有する必要がある。実は、私たちダイバーにとって一番身近なダイビングインストラクターも水中での仕事となるため、Cカードとは別に潜水士免許を持っている。
本記事でご紹介する潜水士は、潜水士免許を持ち、水中や水底で業務ができる人を指す。潜水士は、潜水具を装着した状態で海や河川、湖やダムなどの水中に長時間潜って業務にあたることができる専門家とも言えるだろう。では具体的に、実際の作業内容や厳しさ、やりがいはどこにあるのだろうか?黒葛原氏に伺っていく。
潜水士になろうと思ったきっかけ
編集部
まずは黒葛原さんが潜水士になろうと思ったきっかけから教えてください。
黒葛原氏
今から約20年前に静岡県伊東市でダイビングインストラクターとして働いていたときに、知り合いから水中工事に誘っていただいたのが潜水士になるきっかけでした。もともと、水に携わる生き方をしたかったので、潜水士も例外ではなく、やってみることにしました。
編集部
つまり仕事場は“どんなときも水の中”ということなんですね。潜水士には男性も女性もいるんですか?
黒葛原氏
過去20年間、私が現場で合った女性の潜水士は3人だけです。作業内容が力仕事であったり、現場に着替える場所が用意されているわけではないので、増えづらい環境なんだと思います。水中作業の仕事自体は戦前からあったのですが、当時は“潜水士”ではなく“潜水夫”と呼ばれ、男性が従事する仕事のイメージが定着していました。
編集部
男性の中に混ざって活躍する女性は、たくましそうですね。そもそも潜水士の数も少ないんですか?
黒葛原氏
実際にアクティブに稼働している人は、1万人もいないという感覚です。同業社数は神奈川県で約20社、東京都で約30社、山梨や長野といった海の無い県は0社だったはずです。
潜水士は、力仕事ということもあり比較的マイナーな仕事なのだそう。潜水士免許の試験は、学科科目のみで、令和2年度の受験者数は6,015人、そのうち合格者数は4,886人で、合格率は81.2%。毎年増えてはいるものの、稼働している人数が少なかったり、年齢とともに引退していく人も多いようだ。
そんなことやってたの!? 潜水士の多岐にわたる仕事内容
編集部
次に、実際の仕事内容を教えていただけますか。私たちが生活する中では、ほとんど見かけることがないですが、どのようなことをされているのでしょうか。
黒葛原氏
株式会社MMSは、水中土木全般、水中建設全般、水上水中調査・撮影、水中浚渫(※)、水中溶接、溶断などを海だけでなく、川や湖、ダム、さらには温泉の源泉など水がある場所であれば、どこでも作業します。具体的には、ダム堤体の水叩き調査工事や発電所の水路修繕工事、国道橋の耐震補強工事、沈船の引き上げなどがその一部です。
※浚渫:水底をさらって、土砂などを取り除くこと
サンゴや藻場といった生き物の調査もやらせていただいたこともあります。ちなみに温泉の源泉では、ものが落ちたから取ってほしいという依頼でした。もちろん水温はぬるめのところです(笑)。ものを落とした繋がりでいうと、結婚指輪をボットン便所に落としたので取ってほしいという依頼もありました。想像していただくとお分かりの通り、作業時にレギュレーターで呼吸ができないので、お断りさせていただきました…。
編集部
…すごい!まさに水中作業のエキスパートですね!
黒葛原氏
そうですね。たとえば陸上だったら、鉄筋を溶接するときは溶接工、耐震調査をするときは耐震調査会社というように専門業社が分かれていますが、水中だとそれらの作業をすべて潜水士が請け負うという感じです。その分、潜水士は知識や資格をたくさん持つ必要があります。
過去には、水深80mでの作業を行ったこともあるそうだ。また、東日本大震災発生時に海中の障害物の撤去や港や護岸の修復作業などを行ったりと、地震の多い島国・日本だからこその作業も行う。災害からの復旧作業や、安全対策などでも、潜水士は重要な役割を担っているのだ。
私たちが知らない、潜水士の厳しさとやりがい
編集部
ここまでご紹介してきた作業には、私たちが想像できない特有の厳しさややりがいなどもあると思います。まずは厳しさについて教えてください。
黒葛原氏
“寒さ”ですかね。私の会社で請け負う仕事は、ダムでの作業が多いのですが、時に真冬の山奥まで行くこともあります。そこで2〜3時間ほど潜るので、さすがに体が冷えてきます(笑)。
黒葛原氏
水面が凍っている現場は、水中がどのような状態になっているか分からなかったり、実際の図面と違う場合もあるので、出たとこ勝負というか、行ってみないとわからないときも多々ありますね。
黒葛原氏
あと、出張が多くて、さらにその出張期間も長くて大変だという社員もいて、約5ヶ月間、電波の届かないところに出張することもあります。他にも、急にお客様の設備に不具合が出たときには大至急現場に向かわないといけなくなったりします。しかも水中での作業になるので陸より1.5〜2倍ほど時間がかかるので、作業期間が2〜3年になることもあり、そのときは社員で2ヶ月半ずつローテーションしていきます。
編集部
電波の届かないところで5ヶ月間も生活したら、でデジタルデトックスされそうですね…(笑)。潜水士の人口の少なさに比べて、需要がある職業なので、全国各地を駆け巡るんですね。
もう一つ気になっていることがあります。作業中に“怖さ”は無いですか?
黒葛原氏
正直、怖いときもあります。たとえば、暗渠(道路などの地下に埋められている水路)での作業は途中で浮上ができないので少し不安になります。ただ、暗渠での作業は特に資格はいりません。、代わりに必要なのは気合です(笑)。あと、透視度の悪いところが多くて。自分の目の前の手さえ見えないときもあります。手を伸ばして、見えていたらいい方です。けど逆に水深50mまで綺麗に見えているときもあったりしますよ。
編集部
自分の手が見えないときもあるなんて、レジャーダイビングからしたら想像できないですね…。その分、安全対策も徹底しているのですか?
黒葛原氏
安全面に関しては万全の対策がとられています。私たち潜水士の作業スタイルには大きく分けて、ヘルメット潜水、フーカー潜水、スキューバ潜水の3種類あるのですが、この中でも長時間(2〜3時間)の潜水が可能で機動力のあるフーカー潜水をすることが多いです。フーカー潜水は頭を全面マスクで覆い、吸気ガス(空気)が地上からホースで送り込まれるスタイルです。このフーカー潜水では、耳と口付近に備え付けられたマイクで地上と通話しながら作業を行い、海況や作業の進捗情報を逐一伝達。作業中の呼吸音まで聞こえるので、健康上の異変があったときでも早期に気づくことができます。また、水中で作業をする潜水士に加え、予備ダイバー(救助ダイバー)などを含む3〜4人組で作業にあたるため、まず遭難することはないですし、万が一水中で何かあってもすぐに救助します。
編集部
どうしても危険なイメージがあったので、安全対策が万全で安心しました。最後にやりがいについても教えていただけますか?
黒葛原氏
水中での作業は人の目には触れず、気づかれづらいですが、私たちが生活をしていく上で欠かせない電力や水力といったライフラインの安定供給に大きく貢献できていることがやりがいですね。橋などの耐震補強も誰かがやらないといけないこと。自分たちの施行が将来に残せる仕事であることも魅力であることは間違いないです。個人的にですが、全国各地に出張できることも楽しいです。
編集部
普段、私たちが使う電力や水力が安定供給されている裏には潜水士の活躍があることを今まで考えることはありませんでしたが、潜水士に感謝しなくてはならないですね。黒葛原さん、ありがとうございました!
島国である日本での生活は、海をはじめとする水とは切っても切り離せないもの。最近では、環境への意識の変化により港湾の施設改変やダム・水道施設などの調査も増えてきているようだ。今後環境にも配慮しながら安定した生活を維持していくため、ますます潜水士の果たす役割が重要視されていくだろう。
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