スービック・沈船の内部へ【前編】:~水中探検家・伊左治佳孝が行く。フツーではないダイビングガイド~
水中探検家として活躍する伊左治佳孝氏のダイビングガイド。今回はまだまだ観光地化の進んでいないフィリピン「スービック」の沈船ポイントを紹介。前編ではスービックの夜の街から沈船「USS ニューヨーク」に潜る。
穴があったら入りたい──皆さんはそんな気持ちになったことはあるだろうか。
今回は、そんな「穴があったら入りたい」読者の皆さんに向けて、レック・ペネトレーションダイビングで知られるフィリピン・スービックの沈船をご紹介したい。
なお、ご存じかもしれないが、“レック”とは沈船、“ペネトレーション”とはその内部に進入することを指す。
要するに「沈んだ船の中に潜る」という、少し普通ではないダイビングだ。
フィリピンに行くなら、沈船だけではなくてバーの中にも入りたい気持ちを抑えて、さぁ、紹介にいってみよう。
スービックエリアについて
スービックはフィリピンの首都マニラがあるルソン島の中西部に位置する町で、アメリカ海軍の基地として栄えた場所だ。現在はその一部が「スービック経済特別区(SBFZ:Subic Bay Freeport Zone)」として整備されており、スービックはダイバーにとっては沈船の宝庫として知られている。このエリアはスービック湾都市開発庁の名前を取って、SBMAと呼ばれることもある。
ちなみに「スービック」と一般的に呼ばれており、潜るのもスービック湾になるが、実際に滞在するのはその対岸のオロンガポという町になる。スービック湾の西~北側がスービック、北東~南側がオロンガポだ。
マニラ空港(ニノイ・アキノ国際空港)からは車で約3時間。日本からの直行便は少ないがクラーク国際空港からなら1時間ちょっとで到着する。

マニラ空港から現地まで(地図データ©2025 Google)
スービック湾を囲むようにダイビングサービスがいくつもあり、私はこれまで経済特区内のダイビングサービスを利用しているが、そこから少し北西へ車で20分ほど走ると「バリオバレット」というローカル色の強いエリアがあり、ここにもダイビングサービスがいくつかある。
経済特別区の中は非常に治安がよいが、大規模商業施設やチェーン店がまばらにある感じで、日本人が一般的にいう“観光地”という感じではない。
とはいえビーチにはデート向けのモニュメントやキッチンカ―などがあり、夜にはビーチ沿いはカップルで埋まっている。ローカルの方に聞くと、週末のデートで訪れるような人が多いらしい。

スービック経済特別区ビーチ沿いの写真
バリオバレットはローカル観光地の空気が濃く、どこか“ざらついた”雰囲気。通りにはバーや飲食店が立ち並ぶ。店があったら入りたい私の調査によると、バーでは白人のご年配の方々が街に沈没しているような光景がよく見られた。かつてアメリカからリタイア後にスービックに移住してきた人々が多く、この街特有の“やさぐれた哀愁”をつくり上げているのだろう。

バリオバレットの町並み。ローカルの雰囲気が漂う
そしてなぜかこのエリアのバーは、フィリピンの他の街に多いゴーゴーバーではなく、ハードロックやメタルの生演奏をやっている店ばかり。日本人はほとんど見かけないので入りづらい部分はあるが、個人的には大好きな雰囲気。やっぱり、穴があったら入ってみないといけませんね。

バリオバレットのバー
経済特別区とバリオバレットの間は車で20分ぐらいなので、ダイビングが終わったらもう一つのエリアものぞきに行くのも面白い(そういうことで一緒に行きましょう)。この二つのエリアはマニラより少し物価が安く、ざっくり日本の20% OFFというイメージでよいかと思う。
スービックのダイビングについて
さて、バーの話ばかりしていると怒られるので、もう少し夜の町に沈没していたいところだが、ダイビングの話をしよう。スービック湾には、アメリカ軍の艦船を中心に多数の沈船が眠っており、東南アジアでも屈指のレック・ペネトレーションダイビングの聖地となっている。私がツアーで利用しているダイビングサービスでは、潜っているダイバーはテクニカルダイバーが多い。つまり、「穴があったら入りたい人たち」ばかりだ。

私がよく利用させていただくダイビングサービス

普通のタンクに加え、テクニカルダイビング用タンクや純酸素などが置かれている

緊急時用に、簡易の高圧酸素治療用の設備がある
ダイビングポイントは湾内で、火山灰が湾内に堆積しているので透明度は8~12mほどと決して良くはない。沈船を外から眺めるダイビングではなく、内部へ入ってこそ真価を発揮するポイントだ。船の構造や機関部を間近で見てみたい人、未知の空間に潜り込むアドベンチャーが好きな人、そして本格的なレック・ペネトレーションをしたいテクニカルダイバーに向いているといえるだろう。
私がスービックに行くのも、多くは「アドバンスド・レックコース」を開催するためか、そのライセンスを持つダイバー向けのテクニカルツアーのためだ。とはいえ、一部の沈船は比較的浅場にあるので、ガイドがテクニカルダイバーであり、しっかりと安全管理できることを前提に、レクリエーショナルダイビングでも案内するも可能だ。
スービック湾には数多くのレックがあるが、その中でも特に人気の3隻を、前後編に分けて紹介しようと思う。今回の前編では、まずスービックを代表する沈船「USS ニューヨーク」について書くことにする。どのレックも港からボートで5〜15分ほどと近く、1ダイブごとに陸上に戻って休憩できる。ボートは小さめだが、湾内なので波も穏やかで、移動で疲れることはほとんどない。

フィリピンのダイビングボート。ビーチから直接乗り込む
USS ニューヨーク(ACR-2 / CA-2)
スービックで最も有名な沈船──それが「USS ニューヨーク」だ。東南アジアの中でもトップクラスの知名度を誇る沈船といっていいだろう。

出典:Wikipedia
船の種類:装甲巡洋艦
全長:117.08 メートル
全幅:19.78 メートル
平均水深:20~25 メートル
最大水深:30 メートル
周囲の透明度:5~8 メートル
内部の透明度:1~10 メートル
※参考:Arizona Dive Shop、Wikipedia
1888年にアメリカで建造され、1893年の最終試験では“世界最速の装甲巡洋艦”として注目を浴びた。のちに「USS サラトガ」「USS ロチェスター」と改名され、第二次大戦期にスービック湾で自沈。長い航海の果てに、今もこの海の底で静かに眠っている。
ビーチから沈没地点までは船で 5 分ほど。移動で消耗せず、ダイビングに集中できる。ただし、アメリカ海軍の出入り口に位置するため、日によっては潜水できるタイミングが限られることがある。USS ニューヨークは装甲巡洋艦らしく、内部は細い通路が入り組み、分厚い鉄板で区切られた迷路のような構造だ。左舷を下にして横倒しで沈んでおり、そのため沈船の内部に入ると人間の感覚を大きく狂わせてくる。
たとえば、船首を向いて右に進んでいくと船の底に方向へ。水深を落とせば左舷側に、浮上すれば右舷側に寄って行くことになる。沈船内部を3次元的に把握しながら進む必要があり、金属船体のためコンパスもうまく効かない。自分の感覚だけを頼りに進むというスリルがある。
ニューヨーク入口
上層部のブリッジ付近から内部へ進入し、第二層、第三層へと降りていくと、通路は徐々に狭くなり、外光は遠ざかっていく。
ニューヨーク第二層
船が横倒しになっているため、ドアが横を向いているのが分かるだろうか。

狭いハッチドアを抜けていく
ボイラー室へ続く通路は特に細く、壁や天井に体を擦らないように慎重に進む。
機関がある第三層まで到達すると、厚い鋼鉄の壁が海のうねりを遮り、かつて船を動かした機材が壊れずに残されている。
ニューヨーク 機関室・エンジンルームへ続く階段
機関室は“必要最小限”の通路しかない。
地面のシルトを巻き上げず、周囲に触れずに潜るのは高いスキルが必要だ。
もしシルトを巻き上げたら、視界は真っ白になってしまう。
かつてここで蒸気が唸りを上げていたと思うと、まるで時が止まった空間に入り込んだような錯覚を覚える。
この船の沈没で死者は出ていないが、それでも内部に漂う空気はどこか“墓標”のようにも感じられる。

機関が詰まった通路
ニューヨーク機関部
ここまで読んで「ちょっと潜ってみたい」と思った方は、もう立派な“穴があったら入りたい人”だ。
USS ニューヨークでダイビングするために必要なライセンス
では、このダイビングを実現するために必要なライセンスはなんだろうか?まず、水深からすると最低限「アドバンスド・オープン・ウォーター」が必要だ。ただし、それだけでは“船の近くに行ける”だけで、実際に船の中を楽しむことはできない。
スービックは沈船の内部に入ってこそ真価が分かる場所。したがって「レックダイバー スペシャルティ」は取得しておきたい。レックダイバー スペシャルティの取得者は、そのコース内でペネトレーションの講習を受けた場合に限り、“限定ペネトレーション”が認められている。細かな規定は各教育団体によって異なるが、基本的には「外光と入口が直接見える範囲に進入すること」が限定ペネトレーションだ。
つまり、適切な訓練を受けていれば“内部に入ること”は可能になる。
また、内部に入ればダイブタイムは当然長くなる。平均水深が 20 m 超ということを考えると、現実的にはエンリッチドエアの使用がほぼ必須。「エンリッチド・エア・ナイトロックス・スペシャルティ」も、併せて取得しておく必要があるだろう。
このあたりのライセンスは、次回の後編でお伝えする少し浅めの沈船を使って現地でトレーニングすることも可能だ。
さて、ここまではレクリエーショナルダイビングのお話。外光が届かない範囲まで踏み込み、本格的に“奥”へ行くテクニカルダイビングの場合は、次のステップが必要になる。
まずはテクニカルダイビングということで、ダブルタンク(背中に2本のタンクを背負うスタイル)とサイドマウント(脇に2本のタンクを抱えるスタイル)のどちらかの認定は前提となる。
USS ニューヨークの通路は基本的にはどちらでも通過でき、現地に両準備がある。これは好みで選んでも大丈夫だ。
その上で、沈船の外光が届かない範囲に入るために「アドバンスドレック」のライセンスが必要だ。
アドバンスドレックは、ライトのトラブルや、ロスト対処、ラインワークなど“真っ暗な沈船内部”でのテクニカルダイビングを扱う。前提条件は、レックダイバーまたはカバーン・ダイバー(洞窟初級)となる。
実際には、スービックの沈船はこのUSS ニューヨークも含めてアドバンスドレックの講習に適しているので、事前に日本で基礎トレーニングをこなした上で、アドバンスドレックのコースをこのスービックで開催することもよくある。
さらに、上で紹介していた、機関室などの奥の奥まで入っていきたいなら、さらにダイブタイムが伸びるため減圧が必要となる。その場合、PADI Tec 45やTDI 減圧手順ダイバーなどの、減圧用のタンクを追加で1本持って減圧ダイビングをするためのライセンスが必要だ。
前編の終わりに
こう見ると少しハードルが高そうに見えるかもしれない。けれど、ハードルが低いということは、“誰でもいける場所”と同義でもある。ハードルを越えた先にしか見えない、限られた人だけの光景がある──私はそう思うし、それこそが私たちをワクワクさせるとも思っている。
次回の後編では、「El Capitan(USS Majaba)」「LST-959(戦車揚陸艦)」といったスービックで人気のレックを紹介する予定だ。アドレナリンと静寂が交錯する、沈黙の世界の続きをお楽しみに。
▶︎スービックツアーをもっと知りたい方はこちら
DIVE Explorers
スービック レックダイビングツアー
本連載ではインスタライブでみなさんの質問にもお答えしながら、記事で紹介したポイントのことや現地の様子を伊左治さんにお話しいただきます。
ぜひお楽しみに。
日時:11月18日(火)20:00〜
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