日本と海外における救難体制の違いと留意点 〜タイの事例を中心として〜
日本と海外における救難体制の違いと留意点
〜タイの事例を中心として〜
提言者
藤野彰氏(ふじの・あきら)/イースタンネットワーク・オフィス フジノ代表
Profile
1951年生まれ。
1980年に国連に採⽤され、ウィーンに通算25年、その間バンコクに5年赴任。
バンコク時代にダイビング・インストラクターになる。
国際薬物統制委員会(INCB)事務局次⻑、国連⿇薬・犯罪事務所(UNODC)東アジア・太平洋地域センター代表などを経て、現在、⿇薬・覚せい剤乱⽤防⽌センター理事、アジアケシ転作⽀援機構理事、エバーラスティング・ネイチャー(ELNA)副代表理事、⽇墺協会理事など。
テーマ選出の理由
バリ島の事故では、海洋警察、軍、民間、ボランティアそれぞれが捜索活動に加わるなど、事故時の対応に注目が集まりましたが、各国によって事情は異なります。
日本と海外の救援体制の違いを認識し、どのような行動を取るべきかを考えることは重要です。
海外と日本の違い
タイの救難体制の例
2014年に起こったバリ島での漂流事故では、事故後の対応に注目が集まった。
日本においては海上保安庁が対応することになるが、バリ島では海洋警察、軍、民間、またボランティアグループが捜索活動に加わった。
日本での救難体制と海外のそれとでは大きく異なるのが通例である。
本稿では、さまざまな国の例を取り上げる余裕はないものの、日本と海外の場合を比較・検討する一助とすべく、一例としてタイ王国パタヤ(注1)のダイビングスポットにおける救難体制について概略を述べ、検討する。
注1=筆者はタイに5年ばかり赴任して、そこでダイバーになって当地を良く知っていることもあり、また現地のダイビング業界の専門家に知己が多いことにもよる。
救難体制について
事故への対応は当事者
パタヤにおいては、海での溺水やけがなど事故への対応は、基本的には事故の当事者やその関係者が行うことが多い。
行政の対応体制、またダイビングショップ組合といった組織が未発達であることに起因する。
さらに、事故者がたらい回しにされる可能性があるとの指摘もある。
公的な海難救助の組織はあるにせよ、活動状況や過去の事例を見ると、主に海況の注意喚起やボート運航の監督など副次的な業務を扱い、直接、事故に介入してくるケースはフェリーの沈没など大きな事故に限られるようである。
海洋警察と海軍の合同救難デモンストレーションなども時折行われる。
ダイビング傷害対応の
高い医療技術を誇る大病院
バンコク及びパタヤでは、海難事故に対する病院の対応は進んでいる。
バンコク病院(Bangkok Hospital)という私立の大病院があり、非常に高い医療技術を持つ医師も多数勤務する。
減圧症の治療などダイビング関連の傷害に対しても対応可能で、再圧チャンバー施設も備え、英語はもとより各言語の通訳者も控えているので、海外からの患者も往々にして自国語での治療を受けることができる。
治療に関する料金も海外傷害保険等、日本人が旅行の際に加入する保険であれば支払い不要(直接保険会社に請求)である(注2)。
けがや溺水などにより医療機関へ移送する場合、直接、自身の乗るボートで港に運ぶか、EMS サービスのスピードボートに移送依頼をするかの2つの方法がある。
パタヤ海域は、ちょうど中心にラン島という有人島があり、医師のいる診療所が設置されている。
島内での事故や周辺海域での事故の場合、特に止血処置などを行うために、ここに一時的に患者が移されることがある。
この診療所はバンコク病院が運営し、大きな事故の場合はスピードボートで直接本院の方へ移送される仕組みである。
移送の際も港に病院側の救急車が待機し、タイムロスを最小限に抑え病院まで移送される。
注2=逆に保険なしの場合でもアメリカなどのように数百万円の高額な請求にはならず、治療費は高くないため、けがをした場合や減圧症の疑いがある場合などは躊躇せず診察を受けるべきである。
船上での対応が主流となる
ダイビング関連の傷害への対処
①減圧症などの圧力傷害の場合
船上などで急激な症状が起きた場合(肺の過膨張障害など)には、前述のスピードボートを呼び移送することもあり得るが、減圧症の疑いがあるが定かではない場合は、船上で緊急用の100%酸素を吸引させておき、ダイビングボート帰港後に医療機関に移送する可能性が高い(注3)。
近年、パタヤにおいて減圧症による水上移送の報告はない。
軽度の減圧症で通院し治療を受けるダイバーについては、時折報じられる。
②外傷の場合
けがに関してはさまざまなケースがあるが、小さなけがの場合は、船上の救急キットを使用し、人もしくは担当のインストラクターが処置することになる。
タイのダイビングボートは漁船を改造したものが多く、他国のものに比べ大型でスペースが十分あるため、救急キットも十分に持ち込めるためである。
水中生物の刺し傷(有毒)に対しても、通常、温水、冷水、アイスパック(氷嚢)、酢酸など種類に応じて処置を施すことができる。
デッキ上のスペースも十分広いため、通常の場合、患者にCPR(心肺蘇生法)を施すことも可能である。
注3=パタヤのダイビング水深が浅く(平均7 ~ 8m)減圧症が発症するほど体内に窒素が溶け込むことが現実的でない。スピードボートは、ダイビングボートの2倍程度のスピードを出せるが、通報して駆けつけるまでのタイムロスを考えると、ダイビングボート上で応急処置をしながら帰港してもそれほど時間の差が発生しない。
ダイバーロストの場合は
周辺のボートに協力を呼びかける
パタヤは透明度が良くない海域であり、ダイバー引率中のロストは、恐らく他のダイビングスポットに比べて起きやすいトラブルである。
そのため、ロスト時の「1分間ルール」など対応ルールの厳守が、ゲストダイバーとガイド双方に強く求められるのが普通である。
ロスト時にダイバーが浮上しない場合は、ボートキャプテンに船上から泡を探してもらうなどボートのアシストを要請し、極力短時間でトラブルをクローズできるように対応する。
周辺に他のダイビングボートが停泊している場合は、協力を呼びかける。
万が一、ダイバーが発見できず一定時間が経過した場合は、海洋警察に通報する手はずになっている。
判明している限り、過去にパタヤで漂流事故が起きたことがないため、事例研究が見当たらない。
そういった事故が起きない要因としては、複雑な海流がなく、万が一ボートから離れてしまっても発見が容易であることが挙げられる。
ボートが移動してピックアップするより、停泊しているボートへ帰ることが重視され、ダイバー側がダイビング中盤からボートへ帰る行動を取るため、極端にボートから離れてしまうことはあまり見られない。
さらに、ダイバー側は浮上の際にシグナルフロートを使用し、自身の位置をボートから見つけやすくするのが通例である。
また、万が一漂流が起きた場合でも、周辺海域はマリンレジャーが盛んでありダイビングボート以外にも無数のボートが航行しているため、周囲のボートから自分のダイビング船に通報してもらう等の対応も可能であること(注4)も、重大な漂流事故に至らない一因だと考えられる。
注4=洋上も携帯電話の使用が可能で、通信が容易である。
連絡先情報リスト作成が望まれる
各国別の海難事故対応状況
ここでは一例として、タイのバンコクからそう遠くないパタヤでの事例を取り上げたが、日本国内と海外の場合を比較すると状況が異なり、したがって救難体制に違いがあり、また国と地域によっても、細かい点で大きく異なることは明らかである。
現地に行かなければ把握できないことも多いにせよ、どこにコンタクトすべきか事前に把握しておくことは不可欠である。
また、重大な海難事故の場合では特に、その国にある日本大使館の支援を受ける必要性が生じることがある。
生命に関わる状況や、法執行当局による拘束、その他、邦人保護の観点からの公的機関の介入がなければ、国によっては当局の適切な対応が望めないこともあり得る。
大使館の取り得る手立ては、置かれている国の状況によって異なると思われ、事前に大使館・領事館の電話番号などを把握しておくことも重要である(注5)。
日本人ダイバーの多く訪れる国々については、海難事故対応状況をまとめた資料、また関係当局への連絡先情報リストの作成が望まれる。
(本稿作成にあたって、特に「マリンプロジェクト」佐藤真也代表から情報の提供を受けた。事実関係と説明は主に佐藤氏からのものである。また「マリンプロジェクト」創立者、宮谷内泰志郎氏からも多くのご教示を受けた。記して感謝する。文責筆者)
注5=筆者の親しい元駐パラオ大使は、訪れる邦人はほとんどがダイバーであるからと、邦人保護のことを考えるうえでも、ご自身がダイビングを始めてマスタースクーバダイバーにまでなられた。
安全ダイビングのための15の提言集(連載トップページへ)
- Webを利用したダイビング事故情報の継続的な有効活用
- 海外ダイビングツアーにおける法的リスクについて
- パラオダイビング協議会における漂流事故への対策と有用性
- ドリフトダイビングの潜り方および注意点について
- 民間ダイバーと公的機関が連携したレスキューの可能性
- 海外の医療ネットワークを持つDANの果たす役割
- ドリフトダイビングのリスクヘッジ
- レジャーダイビング産業の現状と課題、解決の道筋
- 事故から見えるダイビングの安全と広範な情報収集の必要性
- 日本と海外における救難体制の違いと留意点 〜タイの事例を中心として〜
- 漂流などダイビング重大事故における保険の課題と解決策
- 漂流時にダイバーが取るべき行動と生死を分けるポイント
- ガイドやインストラクターの適切な事故時の対応 ~沖縄からの考察~
- アウトドアスポーツにおけるオウンリスク